もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
レポート

被爆77周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました

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「被爆77周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列し、原爆によって亡くなられたお一人お一人に心から哀悼の意を表し、「長崎を最後の被爆地に」するための努力を誓い、黙祷しました。
 
日本共産党を代表し、小池晃参議院議員が献花しました。
田村貴昭衆議院議員、仁比聡平参議院議員、山添拓参議院議員、堀江ひとみ長崎県議、長崎市議団も参列。
 
中森辰一広島市議も広島市議会として超党派で参列。山内えり板橋区議も参列されていました。板橋区議会で超党派で参列されておられるそうです。板橋区の中学生の姿もお見かけしました。とても大事な取り組みですね。
 
 
 被爆者の方々でつくる平均年齢81歳の合唱団「被爆者歌う会ひまわり」の皆様の「もう二度と作らないで わたしたち被爆者を」との歌声。高齢のため、今年で最後とのこと・・・。
 被爆者の方々がいなくなってしまうことを考えると恐怖でしかありません。
 ぜひ長生きをしていただきたいと痛切に思います。
 
  起草委員会をつくって長崎市長が代表して読み上げる「長崎平和宣言」は、毎年、心に届く、説得力のあるものです。
 「アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5か国首脳は『核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない』という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄を走らせました。」との告発も非常に鋭いものです。
 (核保有5か国は、核兵器禁止条約に反対・対抗する時だけ団結しているようにみえます。一緒に「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」など声明を取りまとめることができる関係であるなら、普段から団結し、戦争を起こさせないために、核兵器をなくすために役割をもっと果たすべきです!!!!!)
 「長崎平和宣言」で紹介された16歳で被爆した渡辺千恵子さんの「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」との魂の叫びに核保有国、日本政府は、一番真摯な方法=核兵器禁止条約への批准で応えてください。
 
 被爆者代表の宮田隆さんの「平和への誓い」では、 「あの夜、山越えで我が家に辿りついた看護師さんは、髪は逆立ち、左目は飛び出し、「水をください。」とか細い声で言ったまま、私たち家族の目の前で絶命しました。爆心地の松山町へ救援に赴いた父は、黒焦げの焼死体となった叔父と叔母を発見し、その私の父も5年後に白血病で亡くなりました。
 今、82歳の私は、10年前に発症したがんの悪化で苦悩の日々を過ごしています。多くの被爆者は、私以上の苦しみに耐えて生き抜いています。」
 耐えることができないような苦しみ、悲しみ。でも、それ以上の方々がおられるというのです。
 宮田さんは、日本の一部の国会議員の核共有論について「『力には力』の旧来の核依存思考であり、断じて反対です。核は抑止にあらず。今こそ日本は核の傘からの価値観を転換し、平和国家の構築に全力を挙げるべきです。」と訴えました。
 さらに宮田さんは「日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください」と訴えました。
 宮田さんの訴えにたいし、岸田首相の挨拶は、広島での挨拶と同じように核兵器禁止条約に言及することなくいっそう落胆させるものでした。
 
 
 長崎県知事は挨拶の中で、原爆投下直後に降った「黒い雨」に遭った方々に対する援護の新基準に関し、広島だけでなく長崎も対象することを強く求めました。
 岸田首相は、この声にも応えるべきです!
子どもたちの合唱の
「ああ あの子が生きていたならば」の歌詞、
純心女子高校の皆様の合唱の
「水底に沈みし人に
青色の鶴を折る」の歌詞は、悲しくて悲しくて・・・。
「長崎を最後の被爆地に」
この言葉の重み深く胸に刻みました。
 
 
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長 崎 平 和 宣 言
  核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者をもたらした原子爆弾の投下から11年後のことです。
被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。
その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。
「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」。 
核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。
 今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5か国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄を走らせました。
この出来事は、核兵器の使用が“杞憂”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。
核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。
 今年、核兵器をなくすための2つの重要な会議が続きます。
6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。
そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。
核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。
非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。
そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。
 世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。
私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。
長崎は、若い世代とも力を合わせて、“平和の文化”を育む活動に挑戦していきます。
 被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。
長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
                     2022年(令和4年)8月9日
                      長崎市長   田 上 富 久
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