【NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」視聴メモ】
サハリン、樺太は日本の領土だった
…
1945年夏 40万人の人口
8月15日 終戦
樺太は、戦争が終わらなかった
犠牲者は5000人とも6000人とも言われる
多くが民間人
8月9日
ソビエト 宣戦布告
8月16日
樺太の運命を左右する重大な事件
ソ連兵 攻撃する気なし
日本軍の攻撃が引き金となった
日本軍が先制攻撃
終戦の事実 知らされていなかった
大規模な停電でラジオ聞けなかった
札幌第5方面軍
ソ連が、北海道北部を狙う
樺太を死守せよと命令
樺太の参謀長 とまどう
樺太 兵力少ない
住民は戦火へ
国民義勇隊
やり、手榴弾、毒矢
玉砕
南北450キロ 引き揚げ船にのるため南下する人々
夜間に移動
崖から子どもを落とす
地獄絵 半狂乱の女性
3、4歳 歩けるはずない
手榴弾もらってきて自死
8月20日、ソ連が真岡に
早朝 霧のなかから巨大な船
ロシアの軍艦 艦砲射撃
真岡の隣の駅まで焼け野はら
樺太の参謀長とソ連の話し合い
・鈴木参謀長 戦争はおわった停戦協定を
・ソ連 日本は武装解除し捕虜にせよ
3時間の交渉 決裂
3500人のソ連軍がきた
妻と子どもたちの死体
自らも自死
1億玉砕 捕虜になってはいけないと教えられた
熊笹峠で阻止せよとの命令
師団司令部は豊岡だからいれたくなかった
真岡は住民だけ
強姦 殺害
電話交換手の女性
引き揚げ船に乗らなかった
8月20日、ソ連上陸 伝え続けた
電話交換手の女性たち
青酸カリで自ら命をたった
真岡1000人死亡
豊岡空襲
引き揚げ船攻撃
アメリカ・トルーマン、ソ連・スターリンに北海道もマッカーサーの手にと返事を送る
8月22日、停戦協定
札幌第5方面軍の命令が変わった
参謀長、任務遂行はよかったのか、答えはノーと述べる
12年間 シベリア抑留
住民も2年間サハリンに抑留
ノンフィクション作家の保阪正康氏
命令を出した人
受けて具体化した人の責任を問わなければならない
樺太、本土の防波堤となった
どう向き合うのか、一人一人の命が問いかけている