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【14・08・15】69年目の終戦の日、戦後の原点である戦争しないと誓った平和憲法を守り生かそうと宣伝/戦争と平和の資料館 ピース愛知―企画展「戦争と若者 絶ち切られた命と希望」から学ぶ/中部電力本社前での原発ゼロ☆アクションに参加

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69年目の終戦の日、戦後の原点である戦争しないと誓った平和憲法を守り生かそうと宣伝

 
  戦争が終わった69年目の8月15日、戦後の原点である戦争しないと誓った平和憲法を守り生かそうと宣伝しました。
  青木あつし名古屋市議選予定候補、村瀬かずひろ名古屋市議選予定候補も訴えました。

 アジアで2000万人もの命を奪い、日本で310万人もの命を奪った 日本が起こした戦争。戦争で亡くなられた方々に心からの哀悼の意を表すとともに、過ちを絶対に繰りかえさせない決意を申し上げました。

「がんばってね」との声や「声が聞こえて吸い寄せられるように来ました」との声をかけていただきました。

安倍政権の日本国憲法を壊す暴走を許さず、一刻も早く退陣させるために全力をつくします。

皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

 

戦争と平和の資料館 ピース愛知―企画展「戦争と若者 絶ち切られた命と希望」から学ぶ

 
 8月15日、戦争と平和の資料館ピース愛知に行ってきました。
 8月30日まで企画展「戦争と若者 絶ち切られた命と希望」をやっています。
 企画展でも多くの新たな発見がありました。
 熱心にメモをとる子どもさんの姿もありました。自分達と近い世代の方々が兵士として、あるいは軍需工場の学徒動員で戦争の犠牲になったこと、身近に感じるのかもしれませんね。

戦争体験者のお話もお聞きしました。ピースあいちの一階の会場がいっぱいになる人、そのなかには子どもさんや女子学生の方々も参加されていました(半分以上が若い人)。学童疎開と空襲のお話を小島鋼平さんからお伺いし、その日にお越しになっていた特攻隊に所属していた方からもお話を伺いました。

 亡くなった方々に思いをはせ、過去の歴史を直視し、未来にいかしていきたいですね。

※写真撮影の許可をいただき、写真を撮らせていただきました。

 

 

 

 

 

 
 豊川海軍工廠の空襲では、遺体は「戦士」扱いで家族にはかえされず、埋められ、戦後6年後に発掘。埋葬数2485名、氏名が判明したのが228名とのことでした。

 2500人以上が亡くなっているのに、爆撃の翌日の報道は、 「豊川付近に若干の被害があったもよう」との報道だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
↑爆弾を落としたB29の模型

 

 

中部電力本社前での原発ゼロ☆アクションに参加

 8月15日、中部電力本社前での原発ゼロ☆アクションに参加しました。
  中電前は、スピーチが中心。
 この日はパブリックコメントの締め切り日ということで、九州電力川内原発をかわきりにした浜岡原発を含む原発の再稼働など許さないとの声がありました。
 また、使用済み核燃料の処理方法も決まっていないのに再稼働などあり得ないという声、私は、電事連の一員として原発を安全だと推進してきた中部電力も福島第一原発の事故の収束に力を注いでほしい、命を軽視する原発やめよと訴えました。
  歌も歌って、沿道の皆さんにもアピール。車の中から手をふってくださる方などもいて元気をいただきました。
 

 
 中電本社から横断歩道をわたって向かい側にあったハイビスカス。

沖縄でも咲いているかなと思いながら撮影。
沖縄の辺野古の新基地建設の強行、絶対にゆるせません!
名護市の皆さんは、基地建設反対の稲嶺ススム市長を選んだのです。それなのに強行するなんてひどすぎます。

トンボに出会いました。

 
 ギンヤンマだそうです。かどはら武志東郷町議が教えてくださいました!

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