(写真:浪江町の請戸小学校)
5月15日から、革新・愛知の会の皆さんと「原発被災地の今を知る」福島県訪問をさせていただきました。
青木とも子さん(西区)、高橋ゆうすけさん(南区)、かのう拓人さん(瑞穂区)、伊藤恵子津島市議、太田ゆきえさん(津島市)も一緒に参加。
午後、福島駅に到着しました。
福島駅ホームの放射線量は、名古屋駅と変わらない数値でした。
福島駅前のモニタリングポストは、0.211マイクロシーベルト/hの値を示していました。
除染の徹底などの違いかもしれません。
福島駅からマイクロバスに乗り込みました。
福島県革新懇事務室長の小川英雄さんが、お忙しい中をお時間をさいていただき、宿泊も含めて私たちとずっと一緒にすごしてくださり、案内してくださいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
小川さんは、まずバスの中で、福島県の現状を報告してくださいました。
福島県災害対策本部の数字では、
福島県内への避難者は、84303人(5月8日現在)。
福島県外への避難者は、46700人(4月10日現在)。
合計で、13万1053人の方々が避難生活を余儀なくされています。
福島県内で震災によって亡くなられた方々は、1603人。
震災関連で亡くなられた方々は、1699人と、直接、震災でなくなった方を上回る状況です。
震災「関連死」の方々は、岩手県や宮城県にくらべ何倍も多い状況です。
原発事故によって、福島第一原発周辺自治体住民の復興庁、福島県、市町村の帰還意向調査によると、時間がたてばたつほど、「戻りたい」と答える人が少なくなっている状況とのことです。
東日本大震災や福島第一原発事故が原因とみられる福島県内の自殺者は、46人にのぼっています。ただし、避難して他の都道府県で自死された方は、統計に入っていないそうです。
福島県内の原発全10基の廃炉を求める意見書や決議が、福島県内の59市町村すべてで可決され、福島県議会でも2011年9月議会で請願を全会一致で採択されています。
徹底した除染、完全賠償、全基廃炉が「オール福島」の願いです。
小川さんは、「福島のことを風化させようとしている。でも、原発事故は収束していないし、現地はがんばってたたかっている。このことを皆さんに伝え、発信してほしい」と語りました。
南相馬市の道の駅で相馬双葉漁業共同組合請戸ホッキ会の会長の志賀勝明さんたちが乗り込んでくれ、浪江町内を案内してくださいました。
志賀さんは、漁業者として、福島第一原発の建設計画段階から建設反対でずっとがんばってきた方です。公聴会で反対の立場から発言し、原発に反対するなかで、漁協の青年部から排除されたこともあったそうです。
原発を推進してきた人も被害者のような顔をしていることに複雑な思いをもっているそうです。
福島第一原発から20キロ圏内は、許可書をもらって入りました。
まわりは、東日本大震災の地震と津波の甚大な被害をうけていました。
しかし、福島第一原発の事故があったために、時がとまっているような状況がありました。
ちょうど、消防の方々が訓練をやっていました。地域にすむ方々はおらず、消防の方々と警察の方々のみがいるという状況でした。
沿岸部の請戸の地域からは、福島第一原発の白い屋根と鉄塔がかすかにみえました。
請戸小学校も甚大な津波の被害をうけていました。
地震の当時、児童77人、教職員を含めると約100名がいたそうですが、教職員の方がすぐに「逃げろ」と促し、避難場所に指定されている約2キロ先の大平山に向かって走ったそうです。教頭先生が最後に校舎内外を確認していると大津波が押し寄せてくるのが見え、間一髪で車に乗り大平山の麓にたどり着き、乗っていた車は津波に流されたそうです。
津波は何度も押し寄せ、危険を感じ、さらに数キロ西にある6号国道まで全員で山道を歩き、通り掛かったトラックに乗せてもらい、サンシャイン浪江にたどり着き、皆無事だったそうです。
請戸小学校の皆が無事だったことは、本当に唯一の救いでした。
またマイクロバスに乗り込み、浪江町役場を訪問しました。
役場の職員の方が対応してくださいました。
役場機能も浪江町役場➡浪江町津島支所➡二本松市東和支所➡男女共同センター➡現仮設事務所(二本松事務所)と転々と移転。
もとの浪江町役場には、2013年4月1日から帰町準備室(町内防犯・立入者支援)、2013年6月1日から復旧事業課(道路・上下水道整備)、2013年10月1日からふるさと再生課(除染・津波被災地復旧)、2014年4月1日から津波被災地対策課ができています。
浪江町民の皆さんも最初は、浪江町内の避難所や親戚の家➡二本松市などへの避難(体育館や学校施設)➡二次避難所(県内200施設以上の旅館、ホテル、ペンション)➡2011年5月から現在まで、県内30カ所の仮設住宅、県内外の借り上げ住宅などへ避難している状況です。
現在、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域などに分かれていますが、これはもともと、立ち入りなどの制限を緩和するためにできた区域割りだったのに、そこにあとになって、賠償金額の差をつける区域として出してきたことに疑問を感じていると職員の方はおっしゃっていました。
原発事故の損害賠償について、被害をうけた自治体の皆さんも納得していないのです。
その後、JR東日本常磐線「浪江駅」にいきました。JR東日本常磐線のなかで、広野~原ノ町、相馬~亘理の区間は、復旧のめどはたっていません。
浪江駅前で放射線量をはかりました。
今回の訪問のなかで、一番高い2.6マイクロシーベルト/hの数値。
浪江駅前の福島民報の販売店では、2011年3月12日の朝刊が配られないまま積みあがっていました。
アジア太平洋戦争の後、憲法研究会の発足に参加し、憲法私案「憲法草案要綱」をまと、GHQにも大きな影響をあたえた鈴木安蔵氏の生家も訪問しました。
鈴木安蔵氏の生家の周りもまた、時がとまった人の住んでいない地域でした。
小高駅前の自転車置き場では、高校生が高校に通うためにおいてある自転車が2011年3月のままおかれていました。途中で、どこかの学生さんが自転車をふいてきれいにしたり、整理整頓に来たそうで、きれいに整然と並んでいました。
宿泊先に移動する道路は、除染作業の車で渋滞していました。
住民の皆さんは別の場所に避難され、人が住んでいないのに、道路が渋滞するほど、福島第一原発の事故は、広大な地域に放射性物質をまき散らし、多くの皆さんが除染に奮闘されているのです。
こうした原発事故を起こした責任は、”安全だ”、”安全だ”と「安全神話」をまきちらし、日本共産党国会議員団が事故が起こる前から巨大地震・津波によって全電源喪失の危険性があることを国会質問、質問主意書などで指摘していたのにも関わらず、なんら対策をとってこなかった東京電力と自民党政権(事故前の民主党政権時にも指摘していた)にあることは明らかです。
歴代自民党政権や東京電力、「安全神話」をまき散らしてきた電力業界、原子炉メーカーなどは、本当にこの甚大な被害にたいして責任を感じているのか!
安倍首相はじめ自民党や公明党、東京電力はじめ電力業界、原子炉メーカーなどが、福島の皆さんに及ぼした甚大な被害にたいして、胸を痛めているならば、反省しているならば、原発の再稼働や原発の輸出、原発推進のエネルギー基本計画閣議決定などできないはずです。
軽々しく原発を推進する勢力にたいし、一層憤りでいっぱいの一日目でした。
福島県革新懇事務室長の小川英雄さんが、お忙しい中、ずっと私たちを案内してくださいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
福島訪問を企画してくださった革新・愛知の会の岩中美保子さん、山本晃子さんにも大変お世話になりました!!
本当にありがとうございました。
浪江町沿岸部の請戸地区にて。
指をさしている方向に福島第一原発があります。
浪江町の請戸地区。
浪江町の沿岸部の請戸地区の放射線量。
浪江町の請戸地区。
浪江町の請戸地区。
浪江町の請戸地区。
浪江町の請戸地区。
浪江町の請戸地区。
浪江町の請戸地区。
浪江町の請戸地区。
浪江町の請戸集会所。
浪江町の請戸小学校。
浪江町の請戸小学校の隣には、除染した土とがれきが山になっていました。
浪江町の請戸小学校のすぐ前のモニタリングポスト。
モニタリングポスト、0.074マイクロシーベルト/h。
手持ちの線量計では、0.125マイクロシーベルト/h。
全員無事だった請戸小学校。
福島第一原発建設計画当時から反対してきた志賀勝明さんと岩中美保子さん。
全員無事だった請戸小学校。
浪江町の請戸小学校。
卒業式の準備をしていたときに地震、津波が襲いました。
浪江町の幾世橋郵便局。
浪江駅前の福島民報の販売店。
2011年3月12日の朝刊が配られず、積みあがっていました。
浪江駅前の福島民報の販売店。
2011年3月12日の朝刊が配られず、積みあがっていました。
JR東日本常磐線「浪江駅」前。
今回の福島県訪問のなかで一番線量が高い2.612マイクロシーベルト/h。
浪江町役場にて、職員の方からお話をお伺いしました。
浪江町役場前のモニタリングポスト。
未だに開通していないJR東日本常磐線。
田んぼだったところ。
山林の部分は、除染が進まず、放射線量が高くなっていました。
鈴木安蔵氏の生家。
除染作業。
除染作業員の皆さんの生活拠点。
小高駅の駐輪場。
道の途中のあちこちにモニタリングポストがありました。