6月12日は、一宮駅前での早朝宣伝からスタートしました。
尾関むねお一宮市議、いたくら正文前一宮市議、ひこさか和子前一宮市議、支部や後援会の皆さんが参加してくださいました。
先輩方のご配慮で、たくさんお話をさせていただきました。
「デフレ不況脱却のカギは、働く皆さんの賃金を引き上げること」―こう訴えた時が、やはり働く皆さんのチラシの受け取りが一番よかったです。
「がんばってね」と握手してくださる方など、皆さん、本当にありがとうございました!!
生活クラブ愛知の皆さんが、上前津の事務所に来て下さり、TPP、原発問題の政策提案、候補者アンケートをもってこられ、そうしたテーマで懇談しました。
TPP交渉参加は絶対許さない、原発の再稼働も輸出も許さない、原発ゼロにという政策で意気投合。命を大事にする政治をしてほしい、という思いが皆さんあふれていました。
また、平和憲法への熱い思いも聞かせていただきました。
「今、女性の頑張り時ですね!!」――こう言いながら、楽しい懇談のひと時を過ごさせていただきました。
政見放送などの準備をした後、名古屋駅前へ行き、「このまますすむと困っちゃう」反貧困水曜アクションに参加しました。
反貧困ネットワークあいちの樽井直樹弁護士、森弘典弁護士が弁士をつとめ、みんなで生活保護引き下げストップのチラシをまきました。
私は、「今、日本で1日5人が餓死していることをご存じですか?私たち餓死者を増やす生活保護の改悪に反対しています。ご一緒に貧困をなくしましょう!」と訴えると若者がチラシを受け取ってくれました。
以前、「貧困ってなに?」と若者に言われたことがありますが、わかりやすく、今、日本社会で起きている問題をもっともっと多くの皆さんに知ってもらうために一層頑張ります。
北区に移動し、保育関係の皆さんが集う「保育カフェ」でお話し、交流しました。
会場に入ると皆さんが、何やら子どもたちのための工作品を作成中。
子どもさんの発達、成長のためにいろいろ工夫しながらがんばっている様子がよくわかりました。
15分ほどお話をさせていただきました。
まずは、自己紹介をして、それから6月10日に政府交渉で名古屋市の待機児童の問題を取り上げたことをお話しました。
名古屋市では今年4月1日時点の保育所待機児童数を280人と発表し、「認可保育所の新設や家庭保育室の拡充等に加え、入所を希望する方へのきめ細やかな対応により、対前年比752人、約73%減少」と記者会見しています。
しかし、一方で名古屋市は待機児童数とは異なる入所保留数(認可保育所に申し込んで、入れなかった児童数)1320人(4月19日時点の暫定値)という数を報告しており、認可保育所に入りたくても入れず、措置できていない現実があります。
この背景には、厚生労働者が「待機児童」の概念を狭く変えたために見かけ上は待機児童数が減っているのです。
実際には、
◆子どもを預けるところがないために育休を続けざるを得ない
◆住んでいる地域から遠く離れた保育所しかなく入園が不可能
など、実情にあわない基準となっています。
私も守山区で宣伝していたら、「私のところも待機児童に入れてもらえなかった例だ」というお母さんに出会いました。
下の子を妊娠したので、区役所に相談にいったら、開口一番、「保育園はあきらめてください」と幼稚園を勧められ、幼稚園に入ったそうです。「ちゃんと働きたかったのに」とおっしゃっていました。
これを「きめ細かな対応」と言うのでしょうか?
要請では、保育が必要な児童をすべて措置するためにも、この待機児童の実態にあわない基準を撤回し、認可保育所に入園を希望していて入園できない児童をすべて「待機児童」と数え、「待機児童」を解消するために、保育所の定員超過ではなく認可保育所を新・増設してください。また、非正規保育士の正規化と専門職にふさわしい労働条件の改善をすすめてください。諸外国と比べても低すぎる保育室面積や保育士の配置などの最低基準を改善してください、と求めました。
実は、他にもいろんな要求項目があったんですが、この保育の部分だけは、担当者が来ませんでした。厚生労働省に問い合わせると、「手配を忘れました」と言っていましたが、逃げたんではないかと思いました。
文書回答するように佐々木憲昭衆院議員のところでお願いしていますが、そんな状況だったことを報告しました。
また、アベノミクスで、一層の保育への株式会社の参入促進、保育の最低基準の実質的な切り下げが狙われていることなどもお話しました。
さらに、消費税増税、年金引き下げはじめ20兆円もの国民負担増の問題、原発即時ゼロ、憲法の問題などお話しました。
意見交換のなかでは、若い保育士さんが憲法の問題に関心を持ってくださり、とてもうれしかったです。
「普段は、若い子などは、チラシなどもらっても見ないことが多いけど、お話を聞くとよくわかると思います。私の祖父も戦争へ行き、背中には弾丸のあとがある。私は、話を聞いてきたから、戦争の怖さをわかるけれど、私よりももっと若い子は、おじいちゃん、おばあちゃんが、戦争をしらない世代。戦争のこわさなどもっと知らせていかなくちゃいけないと思いました。フェイスブックとかツイッターとかそういうものでもっと拡散していけるといいなと思います。」
「憲法の問題で発見がありました。国防軍をもつ、文句も言えない国にしようとしている。そこまでやろうとしているんだ。こういうことを伝えれば、若い子も関心を持ってくれるのではないかと思いました。」
「おばあちゃんから私も戦争の話を聞いています。今の平和な世の中が当たり前だと思ってきたけれど、それは当たり前ではなく、憲法があるからなんだと改めて思いました。戦争がないことが前提だったから・・・。平和憲法でなくなって、すぐには、戦争にはならないかもしれないけれど、でもいつか戦争になるかもしれない不安を持たなければいけないストレスだってものすごく大きい。平和憲法だけは守ってほしいと切に願います。」
「小学生のときに、国語の教科書に広島の歌が出てきた。ちょうど、その時に広島から転校生がやってきたので、おばあちゃんちもあるかもしれないと、今しかないと『広島に行こう』と声をかけ、一緒に行ったことがあります。原爆ドームとかみて、この地でそういう歴史があったことを実感し、今、平和であることがすごくありがたいことなんだと思いました。今、震災や原発事故など、子どもたちに平和でない社会で生きさせようとしているんだなと思って・・・。選挙に行って、自分たちの国のこと、自分たちで決めていかなくちゃと思っています。できることをやっていきたいと思っています。」
皆さんからお話も聞けて、とても有意義でした。皆さん、本当にありがとうございました!!