もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
くらし守る

【11・05・21】岩沼市の2つの地域に「救援物資お届け隊」/被災者の方の訪問活動

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 5月21日は2班に分かれて活動しました。

 第1班は、19日、20日とは別のイチゴ農家の方のところでヘドロかき出し作業。

 第2班は、岩沼市の2つの地域に「救援物資お届け隊」。その後、被災者の方を一軒一軒訪問させていただきました。

 私は、第2班に参加しました。渡辺ふさ子岩沼市議、松田地区副委員長と一緒です。

 岩沼市での1カ所目の救援物資お届け活動では、お米、野菜、とりわけトマトが喜ばれました。

 お届け隊にガレージを貸してくださったのは、以前、松田地区副委員長はじめ地元の皆さんが、被災者の皆さんを訪問したことがきっかけだったとのこと。

 「訪ねてきたのは共産党だけだ。見直した」と場所を貸してくださったそうです。

 その方が、近所の方を呼びにいったり、電話をしてくださいました。

 宣伝カーでも“今からやります”と広報しました。

 たくさんの方が、物資をもちにこられました。

 今回みえたご近所の方も、「うちの前でもやってほしい。広いから」と言ってくださいました。今度はそちらでもやろうという話になりました。

 2カ所目は、ある地域の公民館の前で救援物資お届け活動を行いました。

 走って物資をとりにみえる方などいて、本当に待たれているんだと実感しました。この地域では岐阜県委員会から届いた小型携帯ラジオを求めてくる人がたくさんみえました。

 片付けはじめた頃にも「ラジオがほしい」と車でとりにみえる方もいらっしゃいました。このラジオは、岐阜県委員会に4トントラックを貸して下さった方が提供してくださったそうです。トータルで500個くらいありました。

 トマトもやっぱり大人気でした。トマトは、1000個岐阜県から届きましたが、それは、岐阜地区委員会の近所のスーパーの方が提供してくださったそうです。

 皆さんの温かい思いが救援物資につまっているのだなと思いました。

 

 

 
 被災地の訪問活動では、渡辺ふさ子岩沼市議、松田地区副委員長はじめ8人4組で一軒一軒まわりました。

 私は、名古屋市から参加したWさんと一緒にまわりました。

 涙、涙の訪問活動になりました。被災者の皆さんが「共産党の人には本当にお世話になっている。本当にありがとう」と言ってくださり、ご自分たちが大変ななか、とても真心のこもった言葉をかけていただき、そのやさしい気持ちなどで涙が出てきました。

 もともと地元の党の皆さんの必死の活動があってこそ、私たちにも温かい声をかけていただけるんだと思いました。

 1軒目のお宅では、「共産党の皆さんには本当にお世話になっている」と言われました。救援物資お届け隊の会場にも来てくださったとのこと。現時点でのご要望や制度の改善点などお伺いすると、「大規模半壊」と単なる「半壊」とで補償額が違う問題が出されました。「『大規模半壊』だと所得制限なしで支援が受けられるが、単なる『半壊』だと所得制限があり、かつ世帯主が60歳以上でないといけない。夫は59歳8ヵ月。所得も息子、夫、妻で700万円くらいで、所得もぎりぎりオーバーしてしまう。なので何の補償もない。しかも外壁の浸水した高さを測って機械的に判断する(部屋の状態などではない)。近所の人にも『大規模半壊』の人がいるがどこが違うか分からない。また、畳を4部屋全部とり変えたのに補助がでるのは1部屋だけ。車も4台ダメになった。息子は100数十万円のローンを抱えていた。車両保険をかけていたが、津波・地震のオプションをつけていないと保険金はおりない。車屋さんが言うには、被災した車の10台に1台しか車両保険はおりていない。車両保険がおりてもなかなか人には言えない状況になっている」などなど、いろいろとお話をしてくださいました。

 2軒目のお宅でも、「共産党には本当にお世話になっている。私は、どこの党でもなかったが、今度のことでよくわかった。共産党しかこなかった。こういう時にこんなにしっかりやるのは本当にすごい。今度から共産党に入れます」と心をこめて言ってくださいました。
 また、「避難所で6日間すごし、その後、仙台の友人のところで過ごしていたが、避難所に市長は一度も顔を出さなかった。私はもう避難所にはいなかったが、村井知事が来たときに初めて、この地域の避難所に来たそうだ。被災者の顔をみにくることがあってしかるべき」というお話や「行政に言っても見に来るだけで、あとは音沙汰なし。ボランティアの人はその点すごい。本当に関心した」というお話をしてくださいました。

 3軒目のお宅に行こうと玄関先までいくと、2軒目の方が走ってきて、「これ冷蔵庫に入っていたから飲んで」とジュースをもってきてくださいました。見ず知らずの私たちにもとても親切にしてくださって本当に有難いと思うと同時に申し訳ない思いもしました。

 3軒目の方は、「いとこが仙台空港のすぐ近くでなくなった。その地域よりここはましだから我慢しなければ。最近、地震のゆれ方がかわってきた。地盤が緩んできているのではと話している(←地質調査など必要かもしれない)。いつか家がつぶれてしまうのではないか、と心配している」、「松田さんはよくきてくれる」などお話してくださいました。
 
 他のお宅でも「家は、大規模半壊で、車が6台(仕事の関係の車含めて)流されてしまった。それが一番困っている。2人乗りの1台だけはなんとか助かったが、子どもが3人もいて、大き目の車でないとなかなか難しい。病院にいくのも困る。津波がまた来たら逃げるのも車が必要」との声。
   
 また、他のお宅では、家の中にはほとんど何もなく、大工さんが改修に来ていました。家の方からは、「家財道具全部だめになった。本当にお金がかかる。半壊で150万円の補助はもらえるが、足りない。今はアパートに暮らしているが、アパート探しも大変、家賃も補助はあるが大変。原発なんて放射能廃棄物を処理できないのにつくったのが最初から間違いだった」などなど話がつきない様子でした。

 被災者の皆さんの温かい思いや優しい思いに応えて、私たちも引き続きがんばりたいと思います。

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