8月7日、豊川海軍工廠被爆80年「豊川市平和祈念式典」に安間ひろ子豊川市議、佐藤郁恵豊川市議とともに参列し、黙祷、献花をいたしました。
80年前の8月7日、豊川海軍工廠へのアメリカ軍の空襲によって、動員されていた10代の子どもたちはじめ工員、職員など2500人以上の命が奪われました。
亡くなられたお一人お一人に心からの哀悼の意を申し上げます。
豊川海軍工廠は、海軍が戦争で使用する武器や弾薬などを製造していました。
日本が起こした戦争の加害の部分も決して忘れたり、無視してはならないと思います。
戦局が激しくなるもとで、「青年男子」は次々と戦地へ召集され、1943年以降には、「未婚女性の女子挺身隊員」や学徒動員が行われるようになりました。
1945年には、12歳、13歳の国民学校高等科の子どもたちも動員されました。
実際に働いていた人々のうち職員はわずかで、大半は徴用工(「女子挺身隊」・朝鮮人徴用工含む)や動員された学徒だったと言います。
豊川海軍工廠の空襲は、26分間に3256発もの500ポンド爆弾が投下されました。
今年は、豊川高等学校演劇部の皆様による「豊川海軍工廠劇『すけっちぶっく』」が上映されました。
豊川高等学校演劇部の皆様は、2020年から、この戦争の悲劇を忘れず伝えるために毎年上演してこられたそうです。そして、「この劇を戦争で亡くなられた方々に捧げる意味で上演」してきたそうです。
そうした思いが伝わってきて、泣けてきました。
豊川海軍工廠への空襲で亡くなられた方々は、
仮埋葬されたままで、結局、終戦から6年余り経った1951年6月、呉地方復員局残務処理部により、ご遺体の発掘があったそうです。2385人のうち氏名が判明したのは228人しかなかったそうです。
主人公のあかねさんもそのお一人かと思うといっそう泣けてきました。
小、中、高校、地域での出張公演も可能とのことで、多くの皆様に観ていただけると良いと思いました。
豊川海軍工廠語り継ぎボランティアのお二人の「平和への誓い」も胸をうちました。
豊川市の若い世代の皆様の取り組みに、6日の広島市の平和祈念式典で聞いたこども代表の「平和への誓い」の中の言葉を思い起こしました。
「One voice.
たとえ一つの声でも、学んだ事実に思いを込めて伝えれば、変化をもたらすことができるはずです。」
若い世代の方々が、戦争の惨禍を防止し、恒久平和を実現するために努力されておられ、平和祈念式典に位置付けていることも本当に素晴らしいと思いました。




