もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
レポート

「豊川市平和祈念式典」

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78年前の8月7日、東洋一の兵器工場と言われた豊川海軍工廠への空襲がありました。
26分間という短い時間に3256発もの爆弾が投下され、動員されていた10代の生徒さんはじめ2500人以上の方々の命が奪われました。
 
2023年度「豊川市平和祈念式典」に佐藤郁恵豊川市議、安間ひろ子豊川市議ともに参列し、心からの哀悼の思いを込めて黙祷し、献花をいたしました。
 
 加害と被害の戦争の歴史を絶対に風化させてはならないと強く心に刻みます。
 式典会場のロビーには、原爆パネル展とともに豊川海軍工廠への空襲に関する展示がありました。
「空襲終了後には負傷者の搬出や遺体の運びだしが行われました。豊川海軍共済病院は直撃を受けたため、国府高等女学校・飯盛山分院・牛久保小学校・花井寺などが臨時救護所となりおびただしい人々が収用されました。遺体は第二工員養成所の校庭に並べられましたが、犠牲者の数が多く火葬施設が不足したことや、夏場で遺体の腐敗が進むことなどから、千両と諏訪に急きょ造られた墓地に仮埋葬されました。」と書かれています。
 さらに平和交流館のパネルには、
「戦後工廠は解散してしまったため、この墓地は管理者を失ってしまい、遺族の心情をよそに広い墓地には雑草すら伸びて市民の心を暗くしているような状況であったようです。
 そして終戦より6年余りの歳月が経過した昭和26(1951)年6月、呉地方復員局残務処理部により、遺族が待ち望んだ遺体の発掘が行われることとなりました。」と書かれています。
 
 両墓地に埋葬された2385人のうち氏名が判明したのは228人しかなかったそうです。
 
 こんな悲しいことを絶対に繰り返してはいけないと語り継ぐために、高校生の方々が受付、会場案内で参列をされたり、中学生の方が平和への思いを語ってくださったり、中学の吹奏楽部の方々も演奏で参列されていました。
 
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