8月7日、愛知県豊川市の「豊川市平和祈念式典」に参列し、献花をいたしました。
1945年8月7日、豊川海軍工廠が米軍B29爆撃機124機などによる爆撃を受け、学徒動員や女子挺身隊員など若い方々はじめ2500人以上の方が亡くなり、負傷された方々は1万人以上とされています。私の伯父もたまたま非番で被害を免れましたが、豊川海軍工廠に通っていたのです。
亡くなられたお一人お一人に心からの哀悼の意を表します。
佐藤郁恵豊川市議、安間ひろ子豊川市議も参列されていました。
豊川市では、爆撃から50年の1995年8月7日、「平和都市宣言」が採択されました。
「私たちの国だけでなく、歴史上かつてないほど多くの犠牲者を出したこうしたことが、なぜ起きたのか、ともに考え、子孫に語り伝えていかなければなりません。戦争の惨禍を防止し、恒久平和を実現することが、私たち市民の願いだからです。
私たち豊川市民は、人権を尊重しあい、平和を愛する心を育て、人類の絶滅につながる核兵器の廃絶を訴え、地球の平和と安全の確保を希求するため、ここに平和都市を宣言します。」と書かれています。
豊川市立金屋中学校の生徒の皆様が、風化させてはならないと取り組みを披露してくださいました。
金屋中学校は、第二女子寄宿舎だったそうです。
会場の文化会館がある場所には、第十一男子寄宿舎があり、多くの大学生が暮らしていたそうです。大学生は、早稲田大学や立命館大学など関東、関西から動員されたそうです。(2021年8月6日「東愛知新聞」)
二度と繰り返さないための豊川市の皆様のご努力に心からの敬意を申し上げます。