6月22日、日本原水爆被害者団体協議会、原爆症認定集団訴訟全国弁護団連絡会の皆様からご要望を伺いました。
広島の被爆2世である笠井あきら衆議院議員、井上哲士参議院議員と長崎の被爆2世である私もとむら伸子が参加しました。
広島、長崎への原爆投下から76年、日本被団協結成から65年を迎えようとしています。
被爆者の方々の平均年齢は84歳を超えています。
岐阜県から要請にこられた日本被団協事務局長の木戸季市さんは「いま80歳ですが、あと5年は頑張れるかもしれない。しかし10年は頑張れるだろうか。残された時間はわずか・・・」
との言葉に涙があふれます。ひとつひとつの言葉に重みを感じながら、お話を伺いました。
2009年8月6日、被爆者代表と麻生太郎首相(当時)が調印した「原爆症認定訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」4項では、「今後、訴訟の場で争う必要がないよう・・・解決をはかる」と確認されました。
にもかかわらず、いまだに裁判を提起しないと原爆症認定が実現できない被爆者の方々が多数存在しています。
例えば、生きている被爆者の方々は高齢となっており、裁判所にいくことも難しい方もみえますし、長期間の裁判の途中でなくなる方もみえます。お母様のお腹の中で被爆の方も記憶がないわけですから裁判は難しい状況となっています。
「被爆者が死ぬことを待っているのではないか」
そんな悲しい言葉さえ、被爆者の方々から聞こえてくる国の冷たい対応です。
6月30日に田村憲久厚生労働大臣と面会するそうですが、田村厚生労働大臣のご親族にも被爆された方がおられるそうです。
生涯癒えることのない傷をおった被爆者の方々のご苦労がわかっているはずです。
裁判によらずに被爆者の方々が原爆症と認められるように一刻も早く改善を図るべきです。