1945年8月7日、アメリカ軍のB29爆撃機124機とP51戦闘機45機によって豊川海軍工廠は空爆されました。2500人以上の命が奪われました。
亡くなられたお一人お一人に心からの哀悼の意を表します。
今年は、新型コロナの影響で、愛知県豊川市の「豊川市平和祈念式典」は規模を縮小して行われます
戦争と平和の資料館ピース愛知(名古屋市名東区)の展示によれば、豊川海軍工廠の空襲では、遺体は「戦士」扱いで家族にはかえされず、埋められ、戦後6年後に発掘。埋葬数2485名、氏名が判明したのが228名とのこと。
戦争の時の情報統制の実態もみておかなければなりません。
そして、豊川海軍工廠は、機銃の生産については日本最大規模でした。東洋一の兵器工場と呼ばれたとも伝えられています。
加害の歴史もしっかりと直視しなければなりません。
被害と加害の歴史について学び続け、伝え続け、二度と戦争を起こさせない努力をともにしていきたいと思います。