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レポート

辺野古の「文子おばぁ」と愛される「島袋文子さんを迎え沖縄に連帯する市民のつどい」&辺野古新基地ストップ!官邸前アクション

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辺野古の「文子おばぁ」と愛される「島袋文子さんを迎え沖縄に連帯する市民のつどい」が8月17日、国会内であり、参加しました。

日本共産党からは、高橋千鶴子衆議院議員、畑野君枝衆議院議員、山添拓参議院議員、私もとむら伸子が参加し、あとから池内さおり衆議院議員も駆けつけました。

ちょうど国会にきていた山口きよあき名古屋市議、高橋ゆうすけ名古屋市議、市議団事務局メンバーも参加。
原純子比例東京ブロック予定候補、酒井宏明群馬県議もご夫婦で参加されていました。
沖縄や文子さんの写真を撮っている写真家の森住卓さんや松元ヒロさんなど様々な皆様が参加されていました。

集会は、映画監督の三上智恵さんとのトーク、若者との交流という形で進められました。

88歳の島袋文子さんは、15歳で地獄のような沖縄戦を経験しました。
「沖縄戦のすさまじい状況のなかで、生きのびたのは、辺野古の海のサザエや魚をとって食べて飢えをしのいだの。辺野古の海は、魚の宝庫。命の海を埋めることは絶対に認めない。私たちは絶対に負けませんよ。頑張ります」と力を込めて語っておられました。

来る日も来る日もキャンプシュワブゲート前の座り込みに参加しています。

今、国が、辺野古の海を埋め立て始めています。
「涙が出るくらい悔しい。でもあきらめるわけにはいかない」と語りました。

島袋文子さんは、「負けない方法は 勝つまで諦めぬこと」と書かれたTシャツをきていました。文子さんは、まさに体現をされておられます。

沖縄戦のことをもっと語りたい、という思いも語ってくれました。

亡くなった方をまたいで逃げなければならなかったこと、住民が掘った壕なのに日本軍が優先で、日本軍が泣く子どもたちを見せしめに殺したりしたこと、戦争の話をするとき、胸が苦しくなること、寝られなくなること、そんななか生き抜いてきたこと、ゲート前での歌や踊りは(戦争の苦しみなど)心の悩みを晴らすためであること、ゲート前に座り込んでいるがお金なんてもらっていないこと、弁当もでないことなどお話されました。

「沖縄に力を貸してください」と何度もおっしゃいました。

こういうことを言わせてしまって、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

国会内の集会のあと、総理官邸前でのアクションもありました。

島袋文子さんは、総理官邸前でもスピーチしました。

「88歳のおばあがここまで来て訴えている。辺野古に基地をつくらないで!!!!!」との言葉は、本当に重い重い言葉です。

本土を変えて、島袋文子さんの思いに応えていきたいです。

 

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