7月13日、東海北陸地区唯一の国立ハンセン病療養所である駿河療養所へ行きました。
中野たけし比例予定候補、井口まさひこ静岡5区予定候補、高木まさふみ御殿場市議、島津ゆきひろ衆議院議員秘書はじめ皆さんと一緒に伺いました。
3月に愛知に来てくださった駿河療養所の自治会である駿河会の小鹿美佐雄会長に再びお会いでき、お話を伺えてとてもうれしかったです。
医学博士でもある福島一雄所長や事務長、総看護師長はじめ職員の方々がお話くださいました。
1956年、WHOがローマ宣言を出し、ハンセン病患者の方々を隔離する必要はないといっていたのに、日本は、1996年のらい予防法廃止法の成立まで患者、元患者の皆さんの隔離政策がとられました。
深刻な人権侵害のなかで裁判が起こされ、2001年、熊本地裁判決で憲法違反と国が断罪されました。
2008年、ハンセン病問題解決促進法も成立しました。
小鹿さんは、「裁判の判決で憲法違反と勝ち取ったけれど、実際には何も変わらない・・・」と語られています。
駿河療養所でも副所長(医師)が欠員になっています。
所長が医師として重病の患者さんと向き合っているとき、他の業務がやりたくてもできない状況もあるそうです。
また、駿河療養所は、医学部がある病院との連携がなく、その点もサポート体制という面で弱点となっています。他の療養所では、医学部のある大学との連携があるところの方が多数のようです。
ただし、全国の療養所の医師の充足率は72%で足りていません。給与が低く、やりがいはあっても着任できない現実があります。
入所者の方々が、夜、コールを呼びたくても介護職員が足らず呼ぶことを躊躇する状況があり、職員が夜間にいなくなる所もあります。
小鹿さんは、働いている人が楽しく働ける場にしないと、気持ちよく接してもらえない、と職員の方々の待遇改善についても力説されました。
療養所の将来構想として、ガンであれ、非ガンであれ、緩和ケア(最先端医療での治療を模索しながら、最後まで人間らしく、生活の質をさげないように寄り添っていくケア)などで地域の方々にももっと利用してもらえるような方向にしていきたいとのお話もありました。
国、厚生労働省としても先をみすえたしっかりとした構想を持つべきだと痛感しました。
療養所で亡くなられた方々の納骨堂にも行き、献花をしました。
納骨堂には、隔離政策のもとで堕胎をさせられた赤ちゃんのご遺骨も納められています。
こうした悲しいことを2度とおこさせないためにもしっかりと学ばなければなりません。
その後、資料館をみました。
小鹿さんの小学生時代の写真がありました。
現在の愛知県あま市に住んでいた小鹿さんは、本当に幼い頃、親元から離されて療養所で隔離されたのです。どんなにつらい思いをされたのかと思うと胸がつまります。
せめて今のくらしが安心して心豊かなものになるように全力を尽くさなければならないと痛感した訪問でした。
お忙しい中、お時間をとっていただき、本当にありがとうございましたm(__)mm(__)mm(__)m