もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
レポート

【15.12.22】国会事務所で会議など/突然ですが、「すやま初美物語」をまとめてご紹介!!!

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 12月22日、国会事務所で会議など行いました。

 ところで、先日、「すやま初美物語」という すやま初美さんの記事が「しんぶん赤旗」東海北陸版に掲載されましたので、一気に紹介します!!!

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参院愛知選挙区予定候補 すやま初美物語 (上)

 
入党で職場が違って見えた

 18年ぶりに参院愛知選挙区での党議席獲得をめざす、すやま初美氏(37)は、広告デザイン会社に勤めた経験を生かし、ポスターも宣伝グッズも自らデザインしています。リーフの見出しを「わたしは若者に希望ある政治をつくりたい」としたのは、社会人時代の体験がありました。
 

 
 絵が大好きで

 すやま候補は浜松市生まれ。4人きょうだいの長女。子どもの頃から絵を描くのが大好き。画塾に通い、学校でも表彰され、地元自治体の緑化キャンペーンポスターにも絵が採用されるほどの腕前でした。

 子どもながらに、貧困や障害者にたいする差別・偏見にたいし、「なぜ」と憤りを感じていました。保育園が地域から離れたところだったため、小学校入学時、転校生状態で友だちがいませんでした。初めて友だちになってくれた子は10人超のきょうだいで貧困な家庭でした。周囲からその子に関わるなと心無いことも言われました。

 弟が障害をもっていたことから、からかわれることもありました。
 父親と一緒に「しんぶん赤旗」配達の手伝いや原水爆禁止世界大会などにも参加しました。
 両親は「なんでも自分で選択する子でした。共産党に入党したのも、候補者を決意したのも。みんなは一人のために、一人はみんなのために、一人ひとりの小さな声を束ねて国会でがんばってほしい」とエールを送ります。

 民青同盟に加わったのは、愛知産業大学4年生のとき。選挙権を得たので政治のことを勉強してみたい、差別を無くす活動をしてみたいと思ったからです。

デザイン会社

 デザイン会社で10年間働いた経験は、すやま氏が政治を変えたいと思った原点です。

 会社では新聞広告や商品のパッケージのデザインなどに関わりました。

 共産党に入党したのは就職して3年後です。民青で平和、原発の運動に取り組む中で、党に誘われ、自分の働き方がおかしいとの思いもあり、入党を決意しました。

 「入ってみたら、おおっとなりました」。目の前の矛盾のカラクリが解き明かされ、職場の風景が違って見えました。

 民青や共産党の活動を通じて、職場の同僚への見方も変化しました。仲よしの同僚や先輩を、どちらかといえばライバルと見ていたのです。それがチームで製品を作り上げる仲間、社会をともに変える仲間だと感じるようになり、仕事も楽しくなりました。

 連日、終電の仕事。会議室の床で仮眠をとることもある激務の中、すやまさんは、なるべく早く帰れるよう後輩を気遣う頼れる先輩に。

 上司から、下請けへの見積もりを安くするよう求められたとき、「彼らが私たちの製品を買えなくなるから、できない」と掛け合っても、「君のいうことはわかるが、その前に会社がつぶれる」と言い返され、一会社だけではどうにもならないと痛感させられます。

 リーマンショックを機に職場が過酷さを増します。メンタルの病気で休職する人、すやまさんが育てた優秀な後輩が耐え切れずに職場を去っていく辛い経験もありました。

 そのとき出合ったのが志位和夫委員長の国会質問です。「若者を使い捨てにするな」と、大企業を名指しで追及。自分の目の前で起こっていることを話してくれていると、すやまさんにとって希望の光に映った瞬間です。

    (つづく)

(12月18日 「しんぶん赤旗」東海・北陸信越のページより)

参院愛知選挙区予定候補 すやま初美物語 (下)

 
仲間のために「みんなの一人」

 
  大きな転機となったのは、2011年3月11日の東日本大震災です。
 「被災地に行って何かしたい」

震災被災地へ

 そう思っても、仕事も忙しくこのままでは被災地に行けない。心が揺れます。体力的にも限界。デザイナーに誇りは持ちつつも商品を多く売るための仕事を一生続けていいのかとも悩みます。「一度リセットしよう」。次の職場を決めぬまま退職を決断します。

 震災・原発事故6カ月後、民青の学生と宮城へボランティア活動に精を出しました。仮設住宅の聞き取りでは「体調が悪いので1日に1回、誰かが私の生存確認に来てほしい」「津波の話をしたくても辛いから周りに言えない。愛知の人が来てうれしい」と言われました。

 家の泥だし、草とりはボランティアでもできるけれど、奪われた生業(なりわい)は、自分たちだけではどうしようもない、と思い知らされました。

 「愛知に帰ってもできることはないか」。実態を知らせたいとの思いから、聞き取り調査結果と参加者の感想の冊子を200冊作り、県内で普及、報告会も開きました。

 名古屋の共産党北西地区委員会の勤務員として誘われ、被災地の体験から「政治を変えないと」の思いが強かったので引き受けます。地域に根をはる党員や市議の活動に接し、議員・候補者への見方も変わりました。弁護士や医者といった?偉い人?がドーンと出てきて立候補するものと思っていましたが、日々がんばっている党員の代表に過ぎない、候補者自身がみんなの一人で、みんなが候補者を支えているんだと実感します。

 今年の県議選で、北区からの立候補要請を受けたとき、夫に「あなたが職場で待遇が悪くなったらどうしよう」と相談したら、「いいよ」と背中を押してくれました。「共産党は、一つの会社ではどうにもならない労働者の使い捨てや低賃金を社会全体で解決するためにがんばる政党。一緒に働く仲間のためにも、がんばれ」と激励してくれました。

若者がチーム

 国政への候補者要請には、即答できませんでした。でも、県議選で市民から寄せられた声は「安倍政権なんとかして」「戦争する国にしないで」といった、国政に関することに集中していたことを思い出しました。「国会議員をめざすことは市民の声にこたえること。矛盾しない」

 すやま候補を押し出すため、県内の若手を集めて「チームすやま」が結成されています。18歳選挙権を視野に若者に共産党のことや政治に親しみを持ってもらえるよう、似顔絵キャラの作製、コアラ登場の候補者動画サイト、たけだ良介比例候補と合同の若者宣伝などを企画しました。

 すやま候補は小牧市在住。戦争法の出撃拠点化が懸念される航空自衛隊小牧基地の近くです。たけだ比例候補と一緒に、基地や戦闘機工場などを調査し、着々と戦争の準備が進められていく様子をつぶさに目にしました。

 戦争法廃止の国民連合政府の提案で各界と懇談していると自民党系の団体からも「安倍政権の暴走を止めるために共産党が抑止力になってほしい」と期待が寄せられました。

 みずからデザインしたポスターとリーフに記した「愛知の若者を戦場に送らせない!」「わたしは若者に希望ある政治をつくりたい」と連日、県内を駆け巡ります。

(おわり)
(12月18日 「しんぶん赤旗」東海・北陸信越のページより)

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