もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
レポート

【14・03・06】原爆症認定訴訟を傍聴し、報告集会&日本原水爆被害者団体協議会東海北陸ブロックの集会に参加/学習会「国家安全保障基本法と秘密保護法」に参加

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原爆症認定訴訟を傍聴し、報告集会&日本原水爆被害者団体協議会東海北陸ブロックの集会に参加

 
 3月6日、原爆症認定訴訟を傍聴し、報告集会と日本原水爆被害者団体協議会東海北陸ブロックの集会に参加しました。
報告集会では、広島や長崎に落とされた原爆によって被爆した3人の原告の方々から「裁判は長く続くと思いますが、皆様のご支援をお願いします」などの訴えがありました。

 次回の裁判は、5月8日15:00~@名古屋地裁に決まりました。

 日本原水爆被害者団体協議会東海北陸ブロックの集会では、「原爆症認定運動と核兵器の非人道性について」と題して樽井直樹弁護士からのお話、「私の被爆体験」と題して木戸季市日本被団協事務局次長のお話、「原爆被害に国の償いを」と題して藤森俊希日本被団協事務局次長のお話がありました。
 また、長年、核兵器をなくすため、被爆者支援のために先頭にたってがんばってきた故・山口仙二さんの記録映像も観させていただきました。国連総会での訴えなどの映像もあり、二度と被爆者をつくらせない!核兵器をなくす決意を固めあう集会になりました。

◆樽井弁護士のお話の概要

 昨年12月に原爆症認定の新認定基準が国によって示されましたが、「被爆の実態と裁判所の判断に従わない」中身になっています。

 今回の新認定基準では、がん以外の心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎、肝硬変は、2キロ以内、入市被爆は1キロ以内とし、放射線白内障(加齢性白内障を除く)は、1.5キロ以内としています。

 各地の原爆症認定訴訟では9割が原告が勝訴しています。被爆者の皆さんが、自らの体験を正確に訴え、少し遠い距離で被爆した人も入市被爆した人も援護で来た人も原爆症と裁判で認められています。

 初期放射線の影響だけでなく、残留放射線、内部被爆の影響が認められています。
 しかし、国・厚生労働省の側は、残留放射線はほとんど影響がないとか、内部被爆も無視しても構わないレベルなどといまだに主張しています。
 でも、加齢では説明できない病気が実際には発症しています。

 国は、核兵器の被害を小さく見せようとしています。

 被爆者に自分の病気が原爆が原因であることを立証させる制度の問題もあります。

 原爆症認定運動が明らかにした放射線被ばくの恐ろしさを核廃絶へとつなげていきましょう!

◆木戸季市日本被団協事務局次長のお話の概要

 8月9日に長崎で被爆。1954年、ビキニ環礁の問題で自分が被爆者だと知りました。1991年から運動に参加して、被爆者について学びました。

 8月9日は、ごちそうである そうめんの配給を母親と取りにいったときに、ピカーっと光って爆発し、20m吹き飛ばされました。
 顔の左半分をやけど。当時は、ドラム缶がまわりに散乱していたので、ドラム缶爆弾と自分は言っていたが、両親は何も言いませんでした。
 両親は、目がはれあがって何も見えなかったのではないか・・・。
 1946年、憲法ができて、これで戦争しなくてもいいのだと思いました。しかし、1950年に朝鮮戦争が起こり不安に思いました。
 1954年にビキニ環礁での事件で、自分が被爆者だと知りました。高校生のときは、結婚してはいけない、子どもも持ってはいけないと思っていました。
 先生も広島、長崎以外で被爆については言ってはいけないと教えていました。
 自分としては隠す意識はなかったが、言えませんでした。長崎西高校の同級生にもいっておらず、昨年の同窓会で初めて話しました。
 大学3年生のときに親友に話をしましたが、ものすごいエネルギーが必要でした。言おうと思って、何日も言えずにいました。
 人間は人間につくったものに負けないという言葉を聞き、腹におち、岐阜県で被爆者の相談会があったときをきっかけに運動するようになりました。

◆藤森俊希日本被団協事務局次長のお話の概要

 私は広島で1歳のときに2.3キロのところで被爆しました。皆が死ぬと思っていましたが、何とか生きてきました。
 世界に7万発あった核兵器は現在1万7000発になり、まだまだ安全とは言えないが、私たちの運動が動かしている面はあります。
 被爆者の運動が世界を動かしていることを2月のメキシコでの第二回「核兵器の人道上の影響に関する国際会議」でも実感しました。この会議は、もともとノルウェー政府がはじめた会議。
 この会議のオープニングセレモニーとして、被爆者セッションが行われ、1時間45分4人の被爆者と被爆3世の女子高校生の5人が発言しました。これが世界各国にインパクトを与えました。
 会議では、各国から77人が発言し、皆さんが口々に被爆者の発言に感銘を受けた、感謝すると述べました。そして、会議では、明確なことは、被爆した国もそれ以外の国も誰も核兵器の被害を救済することは不可能。核兵器をなくす以外にない、となりました。

 うまずたゆまず被爆の体験を語り、核廃絶を訴えることの大切さを実感しました。

 国が進めてきた戦争の被害にたいして、国家補償をさせる運動は、二度と被爆者をつくらせないたたかいです。来年で被爆70周年になりますが、それまでに実現したいと運動をすすめ、自治体でもそのための意見書採択の運動を広げていきたいと思っています。

学習会「国家安全保障基本法と秘密保護法」に参加

 
 3月6日、秘密保全法に反対する愛知の会と特定秘密保護法に反対する愛知大学教職員有志で企画された学習会「国家安全保障基本法と秘密保護法」に参加しました。
 飯島滋明名古屋学院大学准教授が講演されました。
 1981年の政府答弁で、集団的自衛権について「自国と密接な関係にある外国に対する武力行使を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と答えているように、集団的自衛権は要するに、海外での武力行使であると指摘。
 そのために、教育、事実を隠すこと(秘密保護法)、自衛隊の装備を海外派兵型に変えていることなどお話されました。    
 国家安全保障基本法案は、石破氏が著書のなかで述べている通り、集団的自衛権を行使するためにつくったものであり、阻止するためにも、さまざまな国民の意思表示をしようと呼びかけられました。
 約170人の皆さんが参加され、会場はいっぱいでした!!

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