もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
レポート

【12・01・25】原爆症認定訴訟傍聴―名古屋地裁で第1回弁論で原告の皆さんの思いにふれる/長良川河口堰開門調査問題で岐阜県、三重県の皆さんと意見交換

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 愛知県内の被爆された3人の方が、原爆症認定申請を国に却下された処分の取り消しを求めた原爆症認定訴訟の第1回口頭弁論が1月25日、名古屋地裁であり、傍聴させていただきました。八田ひろ子元参院議員や大村よしのり豊田市議、横江英樹岩倉市議も参加されていました。

 原告の一宮市の森敏夫さん(87)、清須市の山田初江さん(79)、名古屋市緑区の高井ツタヱさん(75)が意見陳述をおこないました。

 広島の爆心地から1・5kmの陸軍兵舎で被爆した森さんは「陸軍兵士として軍の命令で1945年8月6日の被爆直後から3カ月近く、下痢や、おう吐に見舞われながら復旧作業をした。いっしょに作業をした戦友は次々と死んでいった。生き残った私が患っている白内障は長期間に渡り、放射線量が高いなかで作業したのが原因」と訴えました。

 姉妹の山田さんと高井さんは爆心地から5・4kmの長崎で被爆。いとこの安否確認のため爆心地から2kmまで近づきました。山田さんは「私は肺がんと乳がんと2度もがんを患った、妹は慢性甲状線炎に苦しんでいる。福島原発事故は他人事とは思えない。再び放射能の苦しみや不安を味わう人が出さないようにとの思いで提訴した」と述べました。

 裁判後の報告集会で弁護団の樽井直樹事務局長は「国は原爆認定集団訴訟の連続敗訴で2008年に緩和した認定基準を決めた。新しい基準では3人の原告が患っている白内障や甲状腺機能低下を認定するとしている。国は放射線被爆の過小評価を改め3人を原爆症と認めよ」と語りました。
 裁判前に名古屋地裁前で支援集会を開き、裁判後も報告集会が行われました。
 なぜこんな苦しみを味わわなければならなかったのか、という原告の皆さんの思いがひしひしと伝わってきました。原告の皆さんの長期の苦しみ、人生をかけた裁判です。なんとしても勝ってほしいです。

 報告集会のあと、澤田昭二先生と大村よしのり市議と偶然ご一緒になり、さまざまお話を伺うことができました。澤田先生は、市民と科学者の内部被曝問題研究会のお一人として『内部被曝からいのちを守る』のなかでも論文を書かれています。貴重な研究で、しっかりと学ばなければなりません。

長良川河口堰開門調査問題で岐阜県、三重県の皆さんと意見交換

 長良川河口堰の開門調査問題で、大須賀しずか岐阜県議はじめ岐阜県の皆さん、萩原量吉元県会議員、星野公平桑名市議はじめ三重県の皆さんと意見交換をさせていただきました。

 愛知県からは、水道水が木曽川のおいしい水から長良川の汚い水に変わってしまったことが問題になっている知多半島から山内さとる半田市議、林のぶとし元愛知県議、西田静雄自治体部事務局長、日本共産党東海ブロック事務所西田さん、北田さんが参加。

 岐阜県と三重県の皆さんと意見交換できる貴重な機会でした。岐阜県や三重県にも素敵な人がいると心強く思いました。

 
※写真は、独立行政法人水資源機構長良川河口堰管理所ホームページより。無駄なものを二度と作らせない!

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