なくそう核兵器!浜岡原発は廃炉に!名古屋市内の平和行進に参加
6月5日、平和行進に八田ひろ子さん、さいとう愛子さんと参加しました。
平和行進は、毎年、東京から広島までみんなでリレーして歩きます。
東京から広島まで通しで歩く方も参加しています。
被爆者の皆さんを先頭に老若男女みんなで歌をうたったり、コールしたりして歩きました。
私の願いは、日本が被爆国として、核兵器のない世界にむけて真のイニシアティブをとる事です。
逆に世界の足を引っ張っている現状をみんなで一緒に変えましょう!
2011ピースアクション アピール
2011年あいち平和行進
核兵器も戦争もない世界をめざしましょう
1945年8月6日広島と9日長崎に、米国が原爆を投下してから66年目。広島と長崎の被爆者は、長い年月を苦しみながらも、「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器をなくせ」と世界に呼びかけてきました。1958年から始まった平和行進も54年目を迎えました。「核兵器廃絶あいち平和行進」は、被爆者と私立桜丘高校(豊橋)から分火された「原爆の火」を先頭に、今年も愛知県内を歩いています。
昨年5月のNPT再検討会議では、核保有国を含む189の国々が「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ことを決めました。最終文書は、潘基文国連事務総長の核兵器禁止条約の交渉開始提案に言及しながら、すべての国に、そのための枠組みづくりに「特別の努力」をおこなうよう求めました。そして12月の国連総会でもこの動きが続きました。核兵器禁止条約の交渉開始を求めるマレーシア提案の決議は、現に核兵器を持つ中国、インド、パキスタン、北朝鮮を含め、前回より9カ国多い、133カ国の多数で採択されました。
このことは、核保有国の側に核兵器廃絶の意思があるならば、核兵器全面禁止交渉の開始は今すぐにでも可能であることを示しています。
いま、広島と長崎の原爆犠牲者は、全国で22万人(被爆者手帳所持者)あまり。原爆症認定集団訴訟は、2009年8月の「合憲」により、定期的な協議の場を通じて、新たな訴訟提起の必要のないよう解決を図る事が確認されました。しかし、定期的な協議の場が行われないばかりか、厚生労働大臣は、それまで滞留していた被爆者の認定申請のうち約86%を却下するなど、新たな被爆者の切り捨てを進めています。認定基準の大幅改定と、国家補償のともなう法改正実現にむけ、引き続きたたかいが必要となっています。同時に平均年齢76歳を超えた被爆者への支援を強めなければなりません。ともに強めていきましょう。
広島、長崎、ビキニ、福島 ― 広島と長崎の痛苦の経験をもつ日本だからこそ、これ以上“ひばくしゃ”をつくりだしてはなりません。震源域にある浜岡原発は、人間の命の大切さを考えるなら、あること自体が許されません。東日本大震災、救援・復興に全力をあげましょう。いまこそ、日本が変わるときです。
わたしたちは戦争による犠牲者を一人も出したくありません。
「やっぱり平和が一番!」未来のこどもたちに、核兵器も戦争もない、平和で住みよい、緑ゆたかな、日本と世界を手わたしましょう!
栄で署名宣伝
この日は、栄で原発ゼロをめざした期限付きのプログラムを求める署名宣伝も行いました。八田ひろ子元参院議員、黒田二郎元名古屋市議も参加し、訴えました。