日本共産党の志位和夫委員長が憲法記念日の5月3日、東京・日比谷公会堂で開かれた憲法集会でおこなったスピーチを掲載します。
一人ひとりの被災者の皆さんが大事にされる復興をすすめていくのか、それとも財界主導の復興をすすめていくのか、今、私たちの運動が問われています。
まとまって、わかりやすいスピーチだと思います。ぜひご覧ください。
「震災復興と日本国憲法」―志位和夫委員長のスピーチ
みなさん、こんにちは(「こんにちは」の声、拍手)。ご紹介いただきました、日本共産党の志位和夫でございます。(拍手)
今年の5月3日は大震災のもとでの憲法記念日となりました。私は、まず、震災で犠牲となられた方々への深い哀悼とともに、被災された方々への心からのお見舞いを申し上げるものです。
私は、今日は、「震災復興と日本国憲法」というテーマでお話をさせていただきたいと思います。いま、多くの国民のみなさんが、被災された方々の悲しみを癒やし、苦しみをとりのぞき、一日も早く安心と希望がもてる生活を取り戻してほしいと強く願っていらっしゃると思います。私は、その一番の力となるのが、日本国憲法であり、その力を引き出すのは国民のたたかいだということを訴えたいのであります。(拍手)
一人ひとりの被災者の生活再建こそ、復興の目的であり土台
これ以上の犠牲者を出さない――憲法25条の生存権にたって
まず何よりも急がれるのは、これ以上の犠牲者を出さないということであります。
1カ月半以上たっても、温かい食事がない、風呂に入れない、間仕切りがない、医療と介護の手がとどかないなど、劣悪な環境の避難所が多く残されています。
首相は、お盆までに仮設住宅をつくるといいますが、それまで待てるでしょうか。これまでの震災などでも避難所生活は2カ月が限度といわれてきました。まもなく2カ月を超えるではありませんか。政府の計画では遅すぎるといわなければなりません。(拍手)
避難所生活を抜本的に改善し、希望者全員が入れる仮設住宅を前倒しで早く建設・確保し、これ以上の犠牲者は一人たりとも出すな――このことを憲法25条の生存権にたって、強く求めていこうではありませんか。(大きな拍手)
「住まい」「仕事」「公共」の再建を一体に
復興にあたって大原則にすべきは、「一人ひとりの被災者の生活再建こそ、復興の目的であり土台」ということだと思います。
これは、ごく当たり前のことですが、当たり前のことがこれまでやられてきたとはいえません。16年前の阪神・淡路大震災のさい、「復興」の名目で立派な空港、港、高層ビルがつくられました。しかしそこに住む人々は、バラバラにされ、六甲山脈の裏側の仮設住宅に追いやられ、生活は立ち行かず、孤独死が広がりました。こうしたことを繰り返してはなりません。
「生活再建」と言った場合、まず破壊された「住まい」を再建する。壊滅的打撃を受けた漁業・農業・中小企業を再建し「仕事」を保障する。自治体・医療・介護・学校・保育園など「公共」を再建する。「住まい」と「仕事」と「公共」の再建を一体になってすすめてこそ、「生活再建」がすすむのではないでしょうか。
私は、先日、全漁連のみなさんと懇談する機会がありました。先方からこういう発言があったことがとても印象的でした。「生活と漁は一体です。海は生きています。被災地の漁業者はぼうぜんとしているのでなく、船さえあれば魚を取りたいという思いでいっぱいです」。なるほどと思いました。仕事への誇りを取り戻すことは生活再建と一体だと、私は強調したいと思います。(大きな拍手)
破壊された生活基盤の回復のための公的支援を
「生活再建」のためには、国の公的支援がどうしても必要です。
阪神・淡路大震災を契機に、市民と政党が共同した粘り強い運動で、住宅再建のための公的支援をおこなう被災者生活支援法がつくられました。しかし全壊でも300万円です。これでは足りませんね。農業・漁業・中小企業などの被害については、本格的な公的支援の枠組みはつくられておりません。
みなさん。被災者一人ひとりの破壊された生活基盤の回復のために、住宅再建の個人補償の抜本的充実をはじめ、あらゆる分野で公的支援の制度を打ち立てるために力をあわせようではありませんか。(拍手)
そのためには国の姿勢を根本から変えることが必要です。
阪神・淡路大震災のとき、ときの内閣(村山内閣)は、「自然災害の個人被害は、自助努力による回復が原則」とのべ、憲法をたてにして、個人補償や公的支援を冷たく拒否しました。この政府の姿勢は今にいたるも変わっておりません。しかし、いったい憲法のどこに公的支援を禁止する条項がありますか。そんなものはどこにもない。反対に、その権利を力強く保障しているのが日本国憲法ではないでしょうか。(拍手)
公的支援は日本国憲法の要請、それを生かすたたかいを
憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」、国民の「幸福追求」の権利は「最大の尊重を必要とする」と明記しています。
憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と明記しています。
大震災のもとで、これらの権利が侵害されていることは明らかです。それならば侵害された権利を回復することが国の責任であるということは、当たり前の道理ではないでしょうか。(拍手)
被災者一人ひとりの破壊された生活基盤を回復し、自立した再出発を可能にするための公的支援は、憲法が禁止しているどころか、日本国憲法の要請であり、国民の権利です(拍手)。憲法の持つこの力を引き出し、被災者救援・復興に生かすたたかいを、全国でごいっしょにすすめようではありませんか。(大きな拍手)
復興の進め方―計画は住民合意で、財政は国の責任で
いま一つ、大切な問題は、復興の進め方です。
ここでは、「計画は住民合意で、実施は市町村と県・国が連携して、財政の大半は国の責任で」――この大原則が大切ではないでしょうか。
被災者そっちのけの「上からの押し付け」は許せない
一番悪いのは、「上からの青写真の押し付け」です。これをやってはなりません。
ここでも阪神・淡路大震災の苦い教訓があります。当時、国と兵庫県がスローガンにしたのは「単なる復旧でなく創造的復興を」でした。どこかで聞いた言葉ですね(笑い)。神戸市の助役が、震災直後のテレビに出て、震災前につくった神戸空港などの開発計画を振りかざしてこういった。「幸か不幸かこういうことになりましたので、今日からでもこれを実行する」(どよめきの声)。こう言い放った姿を怒りとともに思いだします。その結果、人のぬくもりにあふれた商店街や地場産業がなくなり、超高層ビルと採算がとれない空港にとってかえられました。
私は、率直にいって、こうしたことが繰り返されることへの強い危惧を持っています。政府の「復興構想会議」で、菅首相は「単なる復旧でなく創造的復興を」とまったく同じ言葉を使った(どよめきの声)。私は、ぞっとする思いで聞きました。
五百旗頭(「復興構想会議」)議長は、「東北モデル」をつくり「日本の将来モデルを示す」と言いました。「上からモデルを押しつける」ことが復興だと考えているとしたら、とんでもない考え違いだと私はいいたい。(拍手)
先日、JA全中や全漁連のみなさんと懇談したさい、先方からこういう声がだされました。「『復興構想会議』に、一番被害のひどかった農漁業関係者を参加させていないのはどういうわけか」。その通りだと思います。
みなさん。復興とは、あくまで被災者一人ひとりのための事業でなければなりません(拍手)。被災者そっちのけの「上からの青写真の押し付け」は、きっぱり拒否しようではありませんか。(「そうだ」の声、大きな拍手)
憲法の地方自治、国民主権の大原則にたって真の復興を
「被災者の声」、「小さな声」、「弱い声」をすべてすくいあげ、復興計画を住民合意でつくる。それを応援し、尊重し、財政責任を果たすことこそ、国の責任だということを、私は訴えたいと思います。
そしてここでも一番の力となるのは、憲法第8章に規定された地方自治の大原則、さらには、憲法のすべてをつらぬく国民主権――「国民こそ主人公」の大原則だということを強調したいのであります。(拍手)
みなさん。住民自治と民主主義、国民主権を輝かせてこそ真の復興――人間復興は可能になる、私はそう信じてやみません。そのために力をあわせてがんばろうではありませんか。(大きな拍手)
福島原発事故が明らかにしたものと日本国憲法の立場
大震災を党略的に利用した改憲策動を許すな
この大震災を党略的に利用しようというとんでもない勢力がいることを告発しなければなりません。
自民、民主、公明などの国会議員でつくる「新憲法制定議員同盟」が、4月28日に「大会」を開き、大震災を引き合いに出して、「非常事態規定」のない現憲法の欠陥が明らかになった、緊急の憲法改定が必要だなどと気勢をあげました。
しかし、みなさん。政府が「非常事態」に対応できていないのは憲法のせいでしょうか(笑い)。福島原発事故が起きたのは憲法の責任でしょうか。冗談ではありません。安全対策をとらないまま原発大増設をすすめてきた政治の責任ではありませんか。(「その通り」の声、大きな拍手)
だいたい面々をみてください(笑い)。この「議員同盟」の中心に座っている中曽根元首相、海部元首相、安倍元首相、鳩山前首相などは、それ(原発大増設)を推進してきた張本人、直接の責任者ではありませんか(拍手)。そういう勢力が、大事故への反省ぬきに、憲法にぬれぎぬを着せ、改定を言いつのる。これほどひきょう千万な態度はありません(「そうだ」の声、大きな拍手)。文字通りの「火事場泥棒」的なやり方で、憲法9条改定に道を開く動きは、断固食い止めようではありませんか。(拍手)
原発からの撤退、原発ゼロの期限を決めたプログラム策定を求める
福島原発事故が明らかにしたものは何でしょうか。
一つは、いまの原発の技術は、本質的に未完成で危険をはらんだものだということであります。冷却水がなくなると炉心が溶け、コントロール不能になり、放射能をまきちらす大災厄をもたらす。さらに、放射性廃棄物を処理する方法がまったくない。そうした本質的危険が万人の前で明らかになったのではないでしょうか。(拍手)
二つは、そうした施設を、世界有数の地震国であり、世界1、2の津波国である、この日本で集中立地することは、とりわけ危険きわまるものであるということが明らかになったのではないでしょうか。(拍手)
三つは、にもかかわらず歴代政府は「安全神話」にしがみついてきた。「原発は安全です」と国民に宣伝する。宣伝しているうちに、宣伝しているご当人も「安全」だと思い込む(笑い)。これが一番危険なのです。こうした姿勢だから、繰り返しの警告を無視して安全対策をとらず、大事故を引き起こしたのです。
政府と東京電力は、この事故が「人災」であることをはっきり認めるべきであります(拍手)。政府は、今度こそ「安全神話」と決別し、安全最優先の原子力行政への転換をすみやかにおこなうべきです。東電は全面賠償の責任を果たせ(拍手)。この声を突きつけようではありませんか。(大きな拍手)
そして、私は、この大事故をふまえ、政府にたいして、原発からの撤退を決断することを強く求めるものです(大きな拍手)。原発をゼロにする期限を決めたプログラムを策定することを、要求するものです(拍手)。原発から撤退し、自然エネルギーへの戦略的な大転換を決断することがいまこそ必要です。
原発の恐怖と危険を拒否する権利も、その根拠は憲法のうちに
原発の危険と恐怖を拒否する権利も、大きく言えば、その根拠は、日本国憲法のうちにあります。憲法前文にはこう書いてあります。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
これはただ戦争がないというだけではありません。世界のすべての人々が、「恐怖」や「欠乏」から免れる権利をもっているということを宣言しているのです。すべての人々が、安心して平和に暮らす権利をうたっているのです。この日本国憲法の素晴らしい内容を生かすたたかいを、大いにすすめていきたいと思います。
みなさん。日本国憲法を生かし真の復興を――これを合言葉に、力をあわせてがんばろうではありませんか(大きな拍手)。以上をもってごあいさつといたします。ありがとうございました。(歓声、大きな拍手)
(「しんぶん赤旗」2011年5月4日掲載)