もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
レポート

愛知県豊川市の「豊川市平和祈念式典」に参列し、献花しました

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 8月7日、愛知県豊川市の「豊川市平和祈念式典」に参列し、献花しました。

 1945年8月7日、アメリカ軍のB29爆撃機124機とP51戦闘機45機によって豊川海軍工廠は空爆されました。2500人以上の命が奪われ、その数倍の人々がけがをしました。

亡くなられたお一人お一人に心からの哀悼の意を表します。

豊川海軍工廠は、機銃の生産については日本最大規模でした。東洋一の兵器工場と呼ばれたとも伝えられています。

私の母は、現豊川市、旧御津町出身で、母の兄(私にとっては伯父さん)は、豊川海軍工廠に動員されていたそうです。

たまたま8月7日は、非番で、命を失うことはありませんでした。

犠牲者は、伯父さんだったかもしれません。

2500人以上が亡くなっているのに、爆撃の翌日の報道は、 「豊川付近に若干の被害があったもよう」との報道だったそうです。会場のパネル展示やパンフレットには書いてありませんでしたが、戦争と平和の資料館ピース愛知(名東区)の展示には、豊川海軍工廠の空襲では、遺体は「戦士」扱いで家族にはかえされず、埋められ、戦後6年後に発掘。埋葬数2485名、氏名が判明したのが228名とのことでした。

戦争にいたる過ちも戦争時の過ちも繰り返さないように過去から学び、未来に生かし、次の世代に伝えていかなければと思います。

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