77年前の8月7日、米軍の空襲によって2500人以上(「動員学徒」で10代の若者も多い)の命が奪われた豊川海軍工廠のあった豊川海軍工廠平和公園へ行き、黙祷しました。
豊川海軍工廠の空爆で亡くなられた方々のご遺体は、6年後に発掘されました。
2385人のご遺体のうち、氏名がわかったのは228人しかいませんでした。
そこにも命と尊厳が軽視される戦争の姿があります。
平和交流館には、
「折り鶴に平和の祈りを〜豊川海軍工廠空襲被害者の追悼・恒久平和の願いを込めて〜」と折り鶴の展示もありました。
豊川海軍工廠解説展示をボランティア方が解説してくださり、平和公園内にある豊川海軍工廠施設を案内してくださるとのお呼びかけがありましたので、参加しました。語り継いでくださっている皆様に心から敬意と感謝を申し上げます。
外の施設のご案内では、陸上自衛隊の上司の方と若い若い方々もご一緒でした。この方々が、戦争に行くことがないようにしなくてはと強く思います。
案内してくださったボランティアの方のお話で、現在の日本車両の正門は、当時、海軍工廠の正門があった場所とのお話でしたので、日本車両の正門にも行きました。
供養塔、空襲で生き残った方々が中心になって建立された平和の像でも黙祷しました。
アジアで2000万人、日本で310万人もの尊い命を奪った戦争の被害の歴史だけでなく、加害の歴史も絶対に忘れてはなりません。
加害の歴史を学ぶことも意識的にしなければならないと痛感しています。
今年は豊川市主催の「平和祈念式典」が新型コロナで縮小のため、豊川海軍工廠平和公園で戦争させない不断の努力を誓いました。