貴重な戦争遺跡、豊川海軍工廠(こうしょう)の遺構を保存してほしい―と1月7日、愛知県豊川市を訪れ、「東洋一の兵器工場」と称された豊川海軍工廠の跡地を視察しました。
佐藤郁恵豊川市議、安間寛子豊川市議、豊川市職員などの方々にご案内いただきました。
戦後、名古屋大学の研究施設用地として使われ、現在は市土地開発公社が木を倒すなどの工事を進めている部分をみてまわりました。
弾薬庫などに使われていた建物や構造物が複数現存しています。
市の担当者の案内で、土塁に囲まれた火薬乾燥庫や、プールとしても使われた水槽、敷地内に残る小型防空壕(ごう)群などを見学しました。
市の担当者は、火薬乾燥庫について「壁はコンクリートだが屋根は木など。火薬が爆発した際、爆風を逃がすための構造。現在はその屋根が抜け落ちている」と話し、水槽は「リンの保管に使われていたとか、軍関係者がプールとして使っていたという話もある」と説明しました。
佐藤議員は「昨年末からの更地化工事で、昨年度発掘された貴重な防空壕群がほぼなくなり残念だ」と話します。
日本共産党豊川市議団は、市が土地開発公社で、市民や議会の意見を聞くことなく更地にする工事を進めていることを批判し、市が用地を取得して戦争遺跡を保存し、平和公園として活用するよう求めています。
一行は、昨年6月にオープンした豊川海軍工廠平和公園も視察しました。市民の運動により、市が名大から用地を買い取り、実現したものです。
私は「一度壊したら元に戻らない。悲惨な戦争とその犠牲を風化させないためにも、空襲以来、73年間残されてきたものを未来に引き継ぎたい。名古屋大の土地でもあり、保存に向け国へも働きかけていきたい」と記者さんに話しました。