4月29日、豊田市の中心部の挙母(ころも)地区の戦争遺跡をたずねる「第15回平和リレー講座」に参加しました。
挙母地区とは、梅ヶ坪、宮口、逢妻、根川、挙母の5町村が1906年に合併した地域を指すそうです。
終戦間近の1945年8月14日、トヨタ自動車本社(当時は「護国第20工場」と呼ばれていました) 付近に模擬原子爆弾「パンプキン」が3発落とされました。
長崎に原爆を落としたアメリカ軍の部隊が投下しました。
豊田英二氏によれば、「軍のスケジュール表には、1週間後、すなわち8月21日豊田市に爆撃を落とし、焼き払うことが書いてあった」とのこと。あと1週間、アジア太平洋戦争が延びていたら、今のトヨタの繁栄もなかったかもしれないのです。
模擬原子爆弾「パンプキン」の落とされた3箇所を回り、お話をお聞きしながら、今の平和の尊さを痛感しました。
また、挙母地区の若者が出征の際に集まった挙母神社を訪問し、646人の戦没者のお名前が刻まれた碑を前に、そこから18歳で出征された方からのお話をうかがいました。
挙母神社の碑に刻まれている戦没者のお名前と文書に残っている戦没者のお名前が一致しない部分もあり、挙母地区の戦没者の方は、おそらく700人くらいではないかとのお話でした。
80歳代、90歳代の何人もの戦争体験者がご自身の体験を語ってくださいました。
「戦争だけは絶対にやってはならない」と口々に強調されていました。
参加されていた2人の女子中学生の方に感想をお聞きすると、「愛知県にも戦争があったということを知ることができてとてもよかったです。」「豊田市に模擬原子爆弾が落とされていたことをしらなかったので、学べてよかったです」と語っておられました。
異なる世代で戦争とは何かを一緒に考え、次の世代に伝える、まさに「平和リレー」の一日となりました。
「平和リレー講座」の呼びかけ団体は、豊田市平和委員会、新日本婦人の会豊田支部、豊田市平和を願い戦争を記録する会、年金者組合豊田支部の皆様です。
今回の訪問の準備にあたっては倒れる人がでるのではないかと思われるくらい大変だったそうです。
身を粉にして、戦争させないために過去の戦争の実相を伝える活動をしてくださっている皆様に心からの敬意と感謝を申し上げます<(_ _*)><(_ _*)><(_ _*)>
トヨタ自動車本社工場付近。
私の立っている左奥に1945年8月14日、3発目の模擬原子爆弾「パンプキン」が長崎へ原爆を落とした米軍部隊によって落とされました。
平和リレー講座の出発にあたって、根本みはる豊田市議があいさつされました!!
豊田市は、平和都市宣言も遅れ、豊田市における過去の戦争の実相を次の世代や住民の皆さんに伝えることも怠っているとの指摘はその通り!!!
私たち住民が市にどんどん迫っていきましょう!!!