8月4日、1945年6月9日にアメリカ軍機による熱田空襲の現場を見学し平和の大切さを学ぶ「熱田空襲現場見学」に参加させていただきました。
河江明美衆院比例予定候補、西田とし子愛知4区予定候補、林のぶとし県副委員長も参加しました。
「熱田空襲を記録する会」の81歳の小島守会長、空襲による負傷経験をもつ82歳の後藤幸雄さんが暑い中、案内し、実態をお話してくださいました。本当にありがたいことです。
熱田区船方の愛知時計電機などには、当時、従業員や動員学徒計2万2000人が働いていました。1945年6月9日午前9:30~9:40の約10分間の空襲を受け、2068名の方の命が奪われました。
亡くなられた皆様に哀悼の誠を捧げ、献花をさせていただきました。
小島さんは、名古屋の空襲で約8000人の方々が亡くなられましたが、慰霊するものが一つもないことに心を痛め、どうしても残さなくては、との思いで、熱田空襲で爆撃を受けた護岸を残すなど尽力されてきました。
後藤さんは、第十工場で働いていた時に空襲にあい、頭部を負傷したため、トラックに乗って、行く道沿いで次々と息を引き取っていく方々がみえたことを語ってくださいました。
意見交換の中では、戦争の悲惨さを学ぶと同時に、なぜあの戦争が始まったのかを知ることが大事だと語られました。
日本が朝鮮半島や中国に侵略したことが戦争の始まりであったこと、この地域で、他国へ加害を及ぼした爆撃機が製造されていた可能性が高いこと、全国に先駆けて学徒動員をしたのが愛知であったことなども指摘されました。
戦争体験者が高齢化していくなかで、せっかく残した戦跡の意味を次の世代に知ってもらう努力が一層必要になっています。
戦争を知らない私たちが、小島さんや後藤さんの思いをしっかりと引き継いで、役割を果たしていくことが求められていると痛感しました。
暑い中、地域の皆様も参加されていました!本当にありがとうございました。