午前2時、黒埼PAで仮眠
5月18日午前2時ごろ北陸自動車道の黒埼PA(新潟県)に到着。午前4:30まで仮眠をとる事にしました。
私は、なかなか眠ることができず、結構起きていて、ごそごそしてしまい、皆さんにご迷惑をかけたかもしれません。皆さん、すいませんでした。
私たちがお借りした車。10人乗りで満員です。
午前7:30、安達太良SAで朝食
午前7時30頃、東北自動車道の安達太良サービスエリア(福島県)で朝食をとりました。
朝食後、「福島民報」「福島民友」など地元新聞を買って読みました。
放射能汚染のことがやはり書いてあります。
福島県の皆さんは、どれほど不安な思いでしょう。
「福島民友」の一面に志位和夫委員長が載っていました。
志位委員長が5月17日、菅直人首相と党首会談を行い、「復興への希望がもてる施策、原発からの撤退をもとめる――大震災・原発災害にあたっての提言(第2次)」を申し入れた内容でした。
岩沼市に到着→仙南地区委員会へ
東北自動車道の村田ICで降り、岩沼市にある郷右近修さんの実家によって、9時ごろ、宮城県岩沼市にある日本共産党仙南地区委員会に到着。
岩沼市内の内陸部では、屋根瓦が落ちて、ブルーシートを張っているお宅が少なからずありました。郷右近さんのご実家も屋根にブルーシートが張ってありました。
仙南地区委員会では、高橋光二地区委員長、松田由夫副委員長はじめ皆さんから現地の被災の状況をお伺いしました。
浸水は、山元町が市街地の46%、亘理町が38%、岩沼市が34%で、沿岸部の被害は本当に甚大です。名取市でも甚大な被害です。
大震災で犠牲になられた宮城県民の皆様の数は、5月12日現在で8965人、行方不明は5892人で合計14857人。
宮城県警の発表では、津波が原因と見られる溺死者が95.8%に達し、60代以上が55.2%を占めました。逃げ遅れた高齢者が、津波の犠牲になったことを裏付ける結果です。
農水省の調査では、津波により流出や冠水等の被害をうけた農地の推定面積は15002ヘクタールで耕地面積の11%をしめます。塩分濃度を取り除く作業に必要な排水設備も津波で壊れているため、再び稲や野菜が栽培できるようになるまでには、長ければ数年かかる見通しです。
小型船(20トン未満)の9割に当たる1万2000隻が大破・流出しました。ノリ、ワカメ、カキなど養殖施設も重大な打撃を受け、漁業の関連業種も壊滅的打撃を受けました。
医療機関への影響も深刻で宮城県内で9病院が機能不全、2病院が50%の機能不全になっています。
県立学校97校のうち91校(94%)、仙台市を含む市町村立学校785校のうち606校(77%)で施設被害を受け、当面使用できない小中学校は46校となり、近隣の公立校などに間借りをしています。
現地でも日本共産党は、対策本部をつくって、懸命にがんばってきました。
3月15日現在で、避難所は1273カ所つくられ、宮城県民の皆さんの13%にあたる31万4000人が避難しました。食料事情が極端に悪いなかで、おにぎりの炊き出しを行い、避難所などにとどけ、要望を聞く活動を全県をあげて取り組んでこられました。
日本共産党は、独自に生活再建、住宅再建にむけた支援の手引き(1)、労働者の雇用と生活支援を中心にまとめた手引き(2)など10万枚をつくり、被災者の皆さんに制度をお知らせし、ご要望を聞く活動に奮闘してきました。手引きは、自治体関係者からも歓迎され、そのまま窓口におく自治体やそのまま広報に載せた自治体も出ています。
全国からの救援募金を宮城県と11市9町に届けたり、救援物資お届け隊などの活動もがんばってきたそうです。
地元の皆さんの奮闘には、本当に頭が下がります。地元の皆さんの少しでもお役に立つことができるように私たちも全力でがんばります!
尾張東部地区委員会の皆さんから仙南地区委員会の皆さんへ救援募金
岩沼市出身の郷右近修さん(豊明市在住)に尾張東部地区委員会の皆さんから救援募金が託されました。
郷右近さんは、高橋地区委員長に救援募金を手渡しました。