民主党政権がダメだからと言って、自民党に戻るような動きもありますが、それでは、なにも変わりません。
自民党は、東京電力の幹部から政治献金をもらい、東京電力と大変癒着の深い政党です。原発メーカーからも政治献金を受け取っています(民主党もですが・・・)。
5月4日の「しんぶん赤旗」には、東京電力と自民党の癒着ぶりがよくわかる記事が掲載されていましたので、紹介します。
大企業にこびない、はっきりものを言うことは、この社会では、不利なことがたくさんあります。テレビや新聞は、大企業の広告料が大きな収入源となっています。大企業にはっきりとものを言う人たちは、一般のマスメディアに載ることは制限されます。
お金を持っている大企業の方が、情報発信力があり、世論を形成するのに有利に働きます。
でも、一人ひとりの尊厳を大切にするために、自然環境を守るために、持続可能な社会のために、どうしても大企業と対立することがあるのです。
もうけ最優先の政治をかえ、人の命と環境が本当に大切にされる政治を実現するためにも、企業・団体献金を受け取らず、大企業と癒着のない日本共産党がどうしても必要だと思います。
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副社長→国会で12年→今度は顧問
加納前自民参院議員、東電に里帰り
原発事故のたび擁護質問
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東京電力副社長から財界代表として、自民党参院議員となり、2期12年務めた加納時男氏(76)が“古巣”の東電顧問に就任していたことが、2日までにわかりました。議員時代、原発事故が発生するたびに原発擁護の質問をするなど、文字通り、電力業界の代弁者として“活躍”してきた加納氏。勤務場所は、東京都千代田区内幸町の東電本社から300メートルと離れていない港区新橋の東電東新ビル7階の「東電顧問室」です。 (藤沢忠明)
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加納氏は、1998年の参院選で、「経済界の声を直接国会に」と、経団連組織候補として自民党公認で比例代表区に立候補、電力業界のぐるみ選挙で当選しました。
2期12年の参院議員在職中、自民党の参院副幹事長、エネルギー政策小委員会事務局長、文部科学政務官、国土交通副大臣などを歴任しましたが、東電で原子力本部副本部長も務めただけに原発推進の旗振り役でした。
電力業界代表として、国会質問でも、原発推進と擁護の立場を鮮明にしてきました。
臨界事故でも
たとえば、99年9月30日、茨城県東海村の核燃料製造会社「JCО」東海事業所で、発生した死者2人、被ばくした人数百人にのぼった臨界事故。
加納氏は、同年10月20日の参院経済・産業委員会で、「今回のが起こったからもう原子力はやめちゃおうとか、ほかのエネルギー、自然エネルギーがあるからもう原子力はなくてもいいというのは、合理的な議論とは思いません」と質問しています。
2004年8月9日、福井県美浜町の関西電力美浜原発3号機で、高温の蒸気が建物内に充満し、作業員4人が死亡、7人がけがをするという事故が発生したときも同様です。
加納氏は、同年10月6日の同委員会で、「この事故があったからといって、原子力やエネルギー政策を見直したり、核燃料政策を変更すべきだとはならない。あくまでも原子力発電、燃料サイクルについては、柔軟性を持ちつつも着実に国策として推進していくんだということがエネルギー政策基本法の原則にもとづくもの」と“国策”を持ち出しています。
早期再開求め
07年7月の中越沖地震で、東電柏崎刈羽原発が止まったときも、08年1月31日の参院予算委員会で、早期の運転再開を求めています。
こうして電力業界の代弁者としての議員活動を続けてきた加納氏は、昨年7月の参院選で引退。ことし2月1日、経団連会館で、「出版と叙勲を祝う会」の1万円パーティーを開催しました。これには、東電の勝俣恒久会長、清水正孝社長、日本経団連の今井敬名誉会長のほか、自民党の谷垣禎一総裁、甘利明元経済産業相、石原伸晃幹事長らが参加、勝俣会長が「経済界と政界の懸け橋に十二分になった」とその労をねぎらいました。
(写真)顧問就任を報告する加納氏のあいさつ状
(写真)加納前参院議員(円内)の新たな勤務先、「顧問室」が7階にある東電東新ビル=東京・新橋