もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
レポート

8月9日、「被爆73周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列しました

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8月9日、「被爆73周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列し、11時2分、黙とうを捧げました。

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 原爆死没者名簿登載者数は、17万9226人。

この一人が、2歳で亡くなった私の父の弟です。

今年新たに3511人の名前が奉安されました。
 
 原爆によって亡くなられたお一人お一人に、後障がいに苦しみ続け亡くなられたお一人お一人に心からの哀悼の意を捧げます。

 

 被爆者代表の田中煕巳さんの「平和への誓い」では、13歳で長崎で被爆し、身内5人を原爆で奪われ、脳裏から消し去ることができない浦上地帯の地獄の惨状を二度と繰り返さないために、人類を危機から救うために、田中さんが、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局長などを務め、先頭にたって、国内外で核兵器廃絶を訴え続けてこられた、本当に長い間の人生と命をかけた献身を思い、言葉の重みで胸がいっぱいになりました。

 田上富久長崎市長の「長崎平和宣言」(全文:下記参照)では、昨年の核兵器禁止条約の採択、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞という2つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証だと語られました。
 そして、明確に「日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。」「日本と朝鮮半島全体を非核化する『北東アジア非核兵器地帯』の実現に向けた努力を求めます」と語られました。

 国連事務総長として歴史上初めて平和祈念式典に参列したアントニオ・グテーレス国連事務総長は演説で、
「広島と長崎の原爆を生き延びた被爆者の方々は、ここ日本のみならず、世界中で、平和と軍縮の指導者となってきました」と被爆者の方々のこれまでの運動を高く評価し、「原爆という大惨事の焼け跡から、被爆者の方は人類全体のために自らの声をあげてくれました。私たちは、その声に耳を傾けなければなりません。決して広島の悲劇を繰り返してはなりません。長崎の悲劇を繰り返してはなりません。一人たりとも新たな被爆者を出してはなりません。」と語られました。

 さらに「核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいます。2017年には、1兆7000億ドル以上のお金が、武器や軍隊のために使われました。これは冷戦終了後、最高の水準です。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたります。その一方で、核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止しています。」と核保有国を批判しました。

 そして、「特に核兵器の軍縮はもっとも重要で緊急の課題」、「核兵器の完全廃絶は、国連の最も重要な軍縮の優先課題なのです」と強調しました。

 「平和とは、抽象的な概念ではなく、偶然に実現するものでもありません。平和は人々が日々具体的に感じるものであり、努力と連帯、思いやりや尊敬によって築かれるものです」との言葉も深く印象に残りました。

 被爆者代表の田中煕巳さんへの拍手は大きく長く続きましたが、安倍首相の挨拶への拍手は形式上の小さなものでした。
被爆者の方々やご遺族の皆様、長崎の皆様の思いが、国連事務総長にも伝わったのではないかと思います。

 日本共産党からは、市田忠義副委員長が代表して献花し、井上哲士参議院議員、紙智子参議院議員、仁比そうへい参議院議員、田村たかあき衆議院議員、私もとむら伸子、堀江ひとみ長崎県議が参列しました。
 私たちのお隣の席には、小松泰信岡山大学大学院教授もいらっしゃいました。

 国連の最も重要な軍縮の優先課題である核兵器の廃絶の足を引っ張る日本政府=安倍政権の政治を変えて、核兵器のない世界に変えていくために、「努力と連帯、思いやりや尊敬」の言葉を胸に私も全力を尽くすことを改めて誓いました。 

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長 崎 平 和 宣 言
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 73年前の今日、8月9日午前11時2分。真夏の空にさく裂した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃墟と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。

 原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。

 1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。

同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。

 昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証です。

 しかし、第二次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には14,450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。

 核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。

 そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。

 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。

 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。

 長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」。

 二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。

 被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。

 長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。

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 折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。

 東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。 被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。

2018年(平成30年)8月9日 長崎市長  田上 富久

 
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