もとむら伸子(日本共産党衆議院議員)-
レポート

7月26日~28日 東京都小笠原村へ~国土交通委員会の委員派遣~

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7月26日から東京都小笠原村へ国土交通委員会の委員派遣で行きました。
衆議院国土交通委員長、自民党、民進党、維新の会、日本共産党の理事及び理事格のメンバーが参加しました。

小笠原村役場や国土交通省などの国の出先機関がある小笠原村父島に行くには、「おがさわら丸」という船に24時間乗っていかなければなりません。
26日11時に東京湾竹橋桟橋を出て、約1000㎞の航路を経て、27日11時10分小笠原村父島二見港に到着しました。

竹橋桟橋には、森下一男小笠原村長と池田望小笠原村議会議長が来てくださいました。会議で東京に来ていたそうです。

出発前に派遣委員全員が集まって、国土交通省からの気象状況の報告をうけながら、台風5号が近づいているなかで、帰りの船が欠航になるかもしれないため、小笠原村に行くかどうか判断が迫られましたが、とにかく行って、ぎりぎりまで、行きの「おがさわら丸」でそのまま帰る(滞在時間4時間半)か、小笠原村で宿泊して予定通り(台風が来ているので、宿舎で待機の日もあると思われる)様々なところを視察するかの判断を保留することとなり、とにかく小笠原村に行くことになりました。

 小笠原村を訪問する決断に森下村長と池田議長は大変喜んでくださいました。

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24時間×往復の船旅で、船に弱いために心配でしたが、一番効くと紹介していただいた酔い止め薬を飲みましたので、途中少しダウンしましたが、何とか体調も持ちました。

船に乗っている間はほぼ、スマートフォンの電波が届かない状況でしたが、東京湾内の間はつながっていたため、今度の雑誌『前衛』9月号に掲載される予定の「鉄道のあり方を考えるシンポジウム」の発言内容の校正を必死でやっていました。

また、1830年に最初に定住した家族の子孫であるセーボレー孝さん(小笠原村総務課長)が小笠原についてお話くださいました。(※小笠原の歴史などについては後述)
セーボレーさんの祖先は、ペリー艦隊が父島に上陸した際に、清瀬付近の土地を50ドルで売ったことでも有名で、当時の島の自治政府の長となった方です。

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小笠原諸島は、一度も陸地とつながったことがなく、火山活動から出来た海洋島です。それ故に、小笠原諸島しかいない生物がいるなど固有の自然環境を残しているため、そのことが評価されて、2011年「世界自然遺産」へ登録されました。
1年中海に入ることができ、美しい海や固有の自然環境のなかで観光地としても素敵な場所です。
しかし、船で24時間、定期船「おがさわら丸」が6日に1回しか出ないために、一週間は時間をとらなければならないなど制約があります。
人が大量に行くことができないということで、固有の自然環境を残し、「世界自然遺産」への登録につながったのだと思います。

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今回の委員派遣の日程は、「おがさわら丸」の出港の関係で7月26日~7月31日の予定でしたが、台風5号が7月30日の小笠原村父島の出航日に直撃するかもしれず、台風が次の出航日8月3日もそのまま停滞し、出航できない可能性があるなかで、結局、乗ってきた「おがさわら丸」でその日のうちに帰らなければならない事態となり、父島の滞在時間はわずかになってしまいました。

滞在時間が短いなかでも、小笠原現地の皆様、国土交通省、出先機関、衆議院の職員の方々、小笠原海運(株)の方々のご尽力のなかで、みる予定だったところをいくつか回ることができました。

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【小笠原ビジターセンター】
父島についてすぐに車で移動し、ビジターセンターに伺いました。
小笠原諸島の歴史と自然環境を紹介する展示があるところです。
小笠原諸島を最初に発見したのは、1693年、信州深志(松本)の城主であった小笠原長時氏のひ孫、小笠原貞頼氏だったとの伝説があります。
ビジターセンターでの新発見は、この小笠原貞頼氏は、愛知県幡豆郡の幡豆(はず)小笠原家で育ち、幡豆小笠原家の子を妻にしたそうです。愛知にゆかりのある人ということで注目しました。
最初は無人島だった小笠原諸島に定住したのは1830年と言われ、ハワイや欧米からやってきた方々が最初に定住したとのことです。
最初に欧米系の方が定住し、そのあと日本からの定住者が増えていったとのこと。

1876年に日本が領有宣言をして、国際的にもここが日本領土として認められました。

アジア・太平洋戦争のなか、1944年には、6886人の島民の皆さん、ほぼ全員が本土へ強制疎開させられ、硫黄島では日本軍が負け、日米両国を合わせて28721人の尊い命が奪われました。

本土に疎開した島民の皆さんは、仕事も家も突然なくなってしまったためにご苦労は相当なものだったようです。

アメリカとの戦争ということで、欧米系の方々はスパイのような扱いもされたそうです。

 戦争が終わり、小笠原はアメリカ軍の統治下におかれました。
戦争後、最初に島に帰ることを許されたのは、欧米の方のみでした。

本土に残された方々の帰島運動のなかで、1968年に小笠原諸島が日本の領土として戻ってきました。そして、やっと日本の人々も小笠原に帰ることができるようになりました。

しかし、強制疎開から24年もたっていますので、本土で仕事や家などの生活の基盤ができた方などは、小笠原に住むことが難しい方も少なくなかったそうです。

強制疎開前よりも人口は減ってしまいましたが、現在、小笠原村には2528人(父島に約2100人、母島に約400人)が住んでみえます。少しずつ人口が増えているそうです。これは離島として珍しいことだと思います。

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【国土交通省関係3機関~小笠原総合事務所・小笠原海上保安署・父島気象観測所~】

◆小笠原総合事務所

小笠原総合事務所では、所長を含めて11名の職員体制で以下の仕事をやっています。
①小笠原振興開発
②出入国管理
③検疫
④植物防疫
⑤労働基準監督事務及び労働者災害補償保険事業事務
⑥職業安定及び雇用保険事業事務(厚生労働省関係)
⑦国有林野管理(林野庁関係)
※税関(出張員3カ月交代)・・・二見港での税関

◆小笠原海上保安署

聟島列島、父島列島、母島列島の周辺海域を担当しています。
署長、次長、署員4名の合計6名で、以下のような仕事をしています。
この6名の体制のなかで、毎日順番で当直もしているそうです。
〇開示関係法令指導・取締り業務(寄港船の確実な立入検査・CIQ業務協力)
〇2014年9月以降、小笠原諸島周辺海域等で中国サンゴ漁船とみられる漁船が多数確認されたことがあり(2014年10月30日には212隻)、その際には、横浜などからの応援とともに巡視船や航空機を集中的に投入した特別な態勢による監視・取締りを実施したそうです。今は、中国サンゴ漁船の姿はみないとのことです。
〇海難防止・テロ警戒業務では、シュノーケリングやシーカヤック、サーフィン中の事故、海釣り中の海中転覆事故などの対応
〇環境防災業務(船舶漏油事故への迅速な対応体制の維持)
〇荒天避難船への対応、医療関係援助(船舶関係者にとって貴重な避難港)
〇急患搬送業務(東京都知事要請による航空機による救急患者搬送業務)
2013年0件 
2014年1件1名
2015年0件
2016年3件4名
2017年7件7名(2017年7月19日現在)
〇他機関との協力体制(警察・消防団との連携・母島への警察官輸送業務協力等)
〇大型巡視船による小笠原しょう戒(小笠原海上保安署には8人乗りの「さざんくろす」という監視取締艇<約25ノット>のみが所属船舶となっています)

◆父島気象観測所

職員11名で地上気象観測、高層気象観測、地震・津波観測、通信などを行っています。気象庁の職員の数は、この間、ずっと減らされていますが、父島気象観測所は減らされていないそうです。それでも一週間に一回は夜勤などもあり大変なご苦労だと思います。「人がいることで、より正確な予測ができる」とのお話も伺いました。 ちなみに南鳥島観測所は減らされていると聞きました。

〇地上気象観測では、JMA―10地上気象観測装置を使って、地上における気圧、気温、温度、風向・風速、降水量、日照、日射、天気現象などの観測をやっているそうです。
定時観測は、1日7回(03、06、09、12、15、18、21時)、自動観測は、定時以外の毎正時、臨時観測は台風接近時、特殊気象観測は黄砂、風じん等を観測します。
風観察装置では、風向・風速を観測し、三日月山高層気象観測用鉄塔に設置し、データ収集・蓄積を行っています。

〇高層気象観測では、気球に吊り下げた測定器で上空高度約30㎞までの気圧、気温、湿度、風向・風速を観測しているそうです。国内16地点(世界中で約870地点)で、1日2回、9時および21時(日本時間)に同時観測。航空機への情報提供に生かしているとのこと。

〇地震・津波観測では、震度観測装置、地震観測装置、津波観測装置のデータを気象庁に集中し、分析に生かしています。
台風は年に2~3個接近するそうですが、まもなく台風5号が小笠原父島を直撃するかもしれない緊迫したなかでのお話でした。

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【小笠原世界遺産センター】

環境省が所管する世界遺産センターを訪問しました。
これまで一度も大陸と地続きになったことがないため、小笠原諸島の生物は鳥に運ばれたり、風に乗って運ばれたり、海流や流木に付着して流されたりして、定着したものです。
小笠原に自生する維管束植物全体の約40%、昆虫は全体の約25%、カタツムリは90%以上(約100種)が固有種です。
この固有種を守ろうと環境省の職員も頑張っています。小笠原の職員体制は、自然保護官2名、アクティブレンジャー4名、事務補佐官2名という体制とのこと。

小笠原世界遺産センターでは、外来生物が入ってこないようにする柵やトラップ(●●●●ホイホイのようなもの)などの展示をみました。
とりわけグリーンアノールという緑色の美しいトカゲが、固有種の生物を食べてしまうということで大問題になっています。
「オガサワラシジミはおそらくグリーンアノールによる捕食のために絶滅かそれに近い状態となった。オガサワライトトンボ、オガサワラトンボ、シマアカネ等の固有のトンボ類も父島と母島ではほぼ絶滅し、グリーンアノールの侵入していない属島に残るのみとなった」と国立環境研究所の資料には書かれています。
年間数万という規模で駆除しているのに、いなくならない状況で、父島はもう全土にいるため、兄島に長い柵を張り巡らせて進入を防いでいるそうです。
1つ目、2つ目の柵は環境省予算で設置済みで、グリーンアノールの進入を許してしまったそうです。
3つ目の柵は東京都の予算でつくっているそうです。

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【小笠原村議会の皆様を表敬訪問】

大変短い時間でしたが、小笠原村議会の皆様を表敬訪問しました。
急病人を運ぶためにも飛行場をつくってほしいという要望を受けました。
「飛行場をつくるには、さまざま難しい面がある」とおっしゃり、その点を詳しくお聞きしたかったのですが、時間がなく、お聞きできなかったことは残念でした。

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【高台にある釣浜駐車場付近から飛行場予定地をみる/候補地の洲崎をみる】

小笠原村に行くには、通常「おがさわら丸」に24時間のっていくしかありません。
急病人を運ぶためにも飛行場をつくってほしいという要望があります。一方で、反対の方もいらっしゃいます。
ちょうどこの7月27日、小笠原村と東京都との協議会が開かれました。
新聞報道では、「小笠原諸島(東京都小笠原村)への航空路開設に関する都と村の協議会は二十七日、都庁で会合を開き、父島に飛行場を整備する案を検討する方針を決めた。環境への影響や採算性などをさらに詰めた上で、小池百合子知事が整備するかどうかを判断する」
「都がこの日示した案によると、父島西部の洲崎(すさき)地区に千二百メートル規模の滑走路を設け、定員五十人程度のプロペラ機の離着陸が可能となる」と書かれています(7月28日「東京新聞」夕刊)。
世界自然遺産との関係では、日本の現行の環境アセスのやり方では不十分で、国際レベルの環境アセスメントが必要だと専門家から声があがっています。
都の職員の方に世界自然遺産の関係で環境アセスをどう考えているのか聞いたところ、“都の方で検討中” との答えでした。
盛土、切土どちらで作るつもりなのか聞くと、“どういった形でつくるのかも検討中”とのことでした。
盛土をする場合、その土砂をどこから持ってくるのかが大問題になります。
小笠原固有の生物を守るためにも、よその地域から土砂を運ぶことはできません。

小笠原の飛行場は、さまざま慎重に考えなければならない問題があります。

※釣浜駐車場付近を歩いていると、グリーンアノールの子どもを発見。見つけた場所は、父島の世界自然遺産区域でした。簡単に見つけられるくらい外来生物が進入している現実をみました。

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【旧浄水場】

災害時に水没しないため、小笠原村の浄水場は高台移転しました。今、昔の浄水場の跡地に地下貯水槽を現在つくっています。

小笠原村では、2016年10月11日~2017年5月27日まで渇水対策本部を設置し、深刻な渇水に対応していました。
小笠原村ホームページには、「父島では渇水が一段と厳しさを増し、4月18日現在、総貯水率が18%台まで低下しそうです。対策として、200㎥規模の海水淡水化装置を追加導入することとし、5月3日からの本格稼働に向け準備中です。
これにより、水資源機構の装置と村所有の装置も合わせ、一日320㎥の水量を確保できることになります」と書かれており、渇水対策は大変だったと思います。
海水淡水化装置は、父島、母島両方に設置されました。島が分かれているために2つ分用意しなければならず、その点、費用がかさみます。その点も配慮して支援が必要と思いました。

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【15:30の「おがさわら丸」で】

父島にいる時間はわずかで、とても残念でした。しかし、貴重で有意義な時間でした。
「おがさわら丸」出港時には、村の皆さんがたくさんお見送りに来てくださいました。おそらく毎回、こうした状況で、島を訪れた方におもてなしをしてくださっているのだと思います。
「おがさわら丸」が出港してからも、多くのボートで追いかけてきてくれて、「また来いよー」と若い方々が水中に飛び込んでパフォーマンスをしてくださいました。

お見送りに来てくださった方々が若い方が多いのも特徴だと思います。この点からも人口が徐々に増えていることがうかがえます。

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【7月28日15時20分 無事に竹橋桟橋に到着】

2019年3月31日で小笠原諸島振興開発特別措置法の期限が切れることになります。おそらく延長する法案が2019年通常国会に出されることになるでしょう。そうした審議にもしっかりと生かしていきたいと思います。

今回の委員派遣も多くの皆様に大変お世話になりました。

委員長はじめ委員の皆様、小笠原村の皆様、国土交通省・海上保安庁・衆議院・各省庁の出先機関の職員の皆様、東京都の出先機関の職員の皆様、小笠原海運の皆様、本当にありがとうございました。

 

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